【デアゴスティーニ盤で聴くQUEEN】7枚目:功罪半ばする問題作「Innuendo」

デアゴスティーニ盤「Innuendo」
QUEENのデアゴスティーニ盤のリリース順に、各作品の内容、そしてデアゴスティーニ盤の評価について書くシリーズ。「A Night at the Opera」「QUEEN」「QUEEN II」「Made In Heaven」「The Miracle」、そして「A Kind of Magic」と、ごく初期から飛んで後期を追うような流れできておりますが、7枚目となる今回はついに、フレディ生前最後の作品「Innuendo」です。

本作がリリースされた1991年の11月にフレディはこの世を去りました。そのことが本作の内容ももちろん、本作への評価にも影響を与え、ひいてはQUEENという存在自体にも深刻な影響を与えました。例の映画も、このフレディの死という影によって作られたQUEENのイメージを引きずった内容だと言えるでしょう。そのことについて僕はあまりよく思っていません。QUEENというバンドが過度に悲劇的でシリアスなバンドのような印象が植えつけられ、本来彼らが持っている、良い意味での軽さや陽気さ、ユーモアセンス(時折ブラック)といったものにまで意味深な影が落ちてしまい、聴き手がむやみにメッセージを受け取ろうとしてしまう傾向が生まれています。

本作の内容は、その原因の発端としても考えられるでしょう。重々しく暗いムードのイントロで始まるタイトル曲、終始陰鬱な”I’m Going Slightly Mad”、これまでになくヘヴィなギターリフの”Headlong”……という前半の流れは、快活で陽気な前作「The Miracle」とは正反対のムードです。

何より重要なのは、フレディが自身の人生を振り返るような”These Are The Days Of Our Lives”、辞世の句のようにアルバムを締めくくる”The Show Must Go On”。これらを聴いて、聴き手がどう解釈するのかは明白です。そして作り手がどんな意味合いを込めているのかも。つまり本作は、QUEENのアルバムでありながら、フレディ個人にフォーカスされた側面があまりにも強く(彼の愛猫について歌った”Delilah”もそうですね)、タイミング的にもそう受け止めるしかないことが、フレディ死後のQUEENの評価すらも方向付けてしまったということです。

本作を、彼の死を外して評価するのは非常に難しいですが、あえて彼の人生がまだ続いていたとして本作を評価してみるとどうなのかというと、残念ながら「The Miracle」でネタも気力も尽きたと思わざるを得ません。若さを取り戻したような弾けるサウンドはここになく、自己模倣にとどまったような楽曲が並びます。ゲスト参加したスティーヴ・ハウのフラメンコ・ギターも素晴らしい”Innuendo”、ハード・ロッキンな”Headlong”などは、その中では自己模倣に陥っておらず見事な出来ですが、他はアレンジも演奏もあまり冴えません。フレディの声は前作での存在感が薄れて奥に引っ込み、ロジャーのドラムスも精彩を欠いています(ロジャーのドラムスは、秘められていた作曲の才能が開花するのに合わせて徐々に精彩を欠いていたという気もしますが)。一方でブライアンのギターは、過去全ての作品と同様、素晴らしいパフォーマンスをしていて、この人の安定感には本当に脱帽します。ジョンも”I’m Going Slightly Mad”での正に”Mad”なフレージングを始め、随所で自由自在に歌っており、ここに来てさらに円熟味の増した様々な技を聴かせてくれます。

結局はフレディの当時の状態に帰結しますが、やはり彼の具合が悪かったことが大きく影響しているようです。世間的には「最後まで声が出ていた」と言われていますし、確かに彼の声域やテクニックは本作でも健在ですが、「The Miracle」で聴かれたような、太さや存在感は薄れており、衰えは隠しきれていません。また、彼の作曲した楽曲が多いわりにどれも地味です。これは実は「The Miracle」でも言えることで、”Princes of the Universe”を最後に、彼一人の手による名曲は生まれていません。

その理由は何とも言えませんが、本作においては、先に書いた”These Are The Days Of Our Lives”、”The Show Must Go On”の2曲、つまりフレディ作曲ではない曲が、良くも悪くも決定的な存在であることは間違いないでしょう。特に”These Are The Days Of Our Lives”の穏やかなムードが生み出す幸福感、尊さ、そして悲哀。僕は多分、人生でQUEENの曲を最後にあと1曲しか聴けない、と言われたらこの曲を選ぶと思います。そんな曲を作ってるのが、”I’m in Love With My Car”という屁みたいな曲しか作れなかったロジャーだというところにまた別の感動もあるんですが、それを抜きにしても、本当に素晴らしい。フレディが最後に参加したミュージック・ビデオとしても有名ですね。

ミュージック・ビデオといえば、本作のミュージック・ビデオの話になると、テレビなどではこの曲と”I’m Going Slightly Mad “のビデオについてばかり触れています。曰く、「病気でやつれた顔をごまかすために濃いメイクをしている」というような。でも、”Headlong”のビデオではほぼすっぴんなんですよね。そして、明らかにやつれているし、昔だとマイクを持って歌えば体格以上に大きく見えた体も、小さく細く見えます。昔、彼らのミュージック・ビデオを収録したVHSソフトを夢中になって何度も観てたんですが、”Headlong”が始まり、フレディの姿が映されたときに、非常にショックを受けた記憶があります。こんなにやつれても、カメラの前で道化を演じていたのかと。そう、まさに”The Show Must Go On”です。

だからこそ僕は、彼が悲劇的に捉えられるのが嫌なのです。悲壮なほどの絶唱を聴かせる”The Show Must Go On”も、ただ悲しいだけでなく、前向きで力強いメッセージも込められています。それは、作曲したフレディ以外の3人から見たフレディの存在そのものなのではないでしょうか。前述の”I’m Going Slightly Mad “のビデオでも、メイキング映像でフレディが積極的に演出の指示をし、明るく振舞っているのが見られますし、死の間際まで、可能な限り作品を残そうと死に物狂いになっていたことを考えても、例の映画みたいに彼の内面を捉えるよりも、彼が外に向かって表現していたことを、あるがままに受け止めることこそが、彼が望んでいたことではないのか。例の映画で彼がメンバーにエイズ感染を告白するシーンで「最後までエンターテイナーとして生きたい」と言ったその言葉こそが大事なのではないのか。

以上のようなことで、最終的に本作は「名作」と言わざるを得ないと思うんですが、QUEEN史の中では功罪のある作品だとも言えるのではないでしょうか。

さてデアゴ盤。ジャケットはグランヴィルのイラスト含む印刷部分にだけニス引きをしてツヤを出す加工になっていて、高級感があります。さらにゲートフォールド2枚組という豪華仕様。レコードは盤の外周の方が音が良いので、2枚に分けて余裕を持った収録にしてるのは良いです。それに加えて、本作は結構録音も良いです。80年代の独特の質感から脱し始め、楽器の音に存在感が戻ってきています。名録音とまでは言えませんが、80年代以降の作品の中では非常に優秀だと思います(だからこそ次の「Made In Heaven」が余計に残念なんですが……)。

というわけで、文句も言いましたがデアゴはいい仕事してますよ、と。

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