アメコミ初心者目線の「マーベル グラフィックノベル・コレクション」寸評(第1〜10号)

漫画文化がおそらく世界で最も発達し、毎日大量に傑作が生産されている漫画大国・日本で、アメコミを熱心に追いかけている人というのは、非常に限られているだろうと思います。僕も子供の頃、ティム・バートン版「バットマン」が上映された当時、映画のコミカライズを読んで以来、ほとんど目にすることがないまま今に至り、コミックの世界に触れないままMCUに入っていった、おそらく一般的な日本人の一人です。

しかし、本屋で表紙を見るたびに中身が気になり、映画の原作にあたるであろう作品が目に入ると、一体どんな作品なのか見てみたいという気持ちはずっと抱いていました。とは言え、マーベルコミックの日本語版は、数話を一冊にまとめた(日本の漫画雑誌における「1話」のボリュームで1冊、というのがアメコミの出版形式のようですね)フルカラー、サイズも大判で値段が張り、しかも店頭ではシュリンクされていて中身が確認できない(多分書店員さんにお願いすれば見せてもらえると思いますが、なんとなくどんなものか見たいだけで頼むのも気が引ける……)ので、なかなか手を出せずにいました。

そんなときに始まったのが、アシェットの「マーベル グラフィックノベル・コレクション」。海外で出版されていた、ハードカバーの装丁での企画シリーズの邦訳版のようで、これならば、マーベル初心者にも最適ではないかと(全100巻が初心者向けと呼べるかどうかはひとまず置いておいて)思い、とりあえず定期購読ではなく、書店で購入する形で買い進めてみることにしました。

現在ちょうど10巻目に辿り着きましたが、現在の大まかな感想としては、「あまり面白くない……」です。日本の漫画に慣れていると、一歩も二歩も遅れている、という気がします。感覚としては、初期の手塚治虫漫画、それも50年代前後の作品のような、子供に向けて目線を下げたような表現・説明台詞、ストーリー展開の雰囲気が漂っていて、ある意味懐かしい気分で読めるとも言えますが、今の日本の漫画における表現の多様性や度肝を抜かれ、腰が抜けるような驚愕のストーリー、というものは全くないので、昔ながらの非常に狭い振り幅の中で描かれている印象がしました。

とは言え、今も初期の手塚作品が面白いように、これらの作品が全くつまらないということはありません。そもそも、日本人アメリカ人の文化の違いからくる表現の違いもある程度踏まえて読む必要もあるでしょう。「鬼滅の刃」「進撃の巨人」などを読んでいる日本人が同じように楽しめるというものではないことを前提として、僕のような「日本の漫画はそれなりに楽しんで読んでるけどアメコミはほぼ初めて」な人間が読んで、今回の「マーベル グラフィックノベル・コレクション」はどの程度面白いのか、どの号が面白くてどの号が面白くないのか、まずは最初の10冊について書いてみたいと思います。

【第1号】アメイジング・スパイダーマン:カミングホーム

冒頭に「これまでのあらすじ」が書かれていて、物語の前日譚が大まかに把握できます。この後、シリーズはこのあらすじから始まりますが、基本アメコミのヒーローものは、日本の漫画のように「キャラクターは漫画家のもの」ではなく、「キャラクターは制作会社のもの」で、プロダクションがその都度脚本家と絵を描く人をあてがい、それぞれストーリーと作画(絵は下書き、ペン入れ、着色と細かく分業されているそうです)を担当させる仕組みのようで、「スパイダーマン」の映画が、さまざまな監督、さまざまな俳優に受け継がれている、という状況とほぼ同じようなもののようです。普段「途中の巻から読む」習慣がないと違和感があると思いますが、何冊か読んでいると意外に違和感がなくなってきます(作中に説明台詞が結構出てくるから、というのもあると思います)。

本作は、スパイダーマンたちスーパーヒーローの持つ力(本作ではそれをトーテム・パワーと呼んでいます)を吸収して強くなるヴィラン、モールンとの命がけの激闘が繰り広げられます。エゼキエルという謎の老人も登場し、この三者の掛け合いの中で、最後スパイダーマンが圧倒的に強いモールンをいかにして倒すか、というクライマックスにたどり着きます。タイトルは「ホームカミング」みたいですが、映画版とは全然関係ないお話で、最後の最後でメイおばさんにピーターがスパイダーマンだと気付かれるという展開だけが同じです。

美麗でダイナミックなグラフィック、ハラハラドキドキの展開は、さすが第1号に選ばれるだけのことはある、充実の読み応えです。続きは続巻で読めるようなので、そちらも楽しみです。

【第2号】X-MEN:ダーク・フェニックス・サーガ

映画化もされた、X-MENシリーズの中でも名の知れた作品の一つのようです。いわゆる「闇落ちモノ」と言えば良いのでしょうか。X-MENのメンバー、ジーン・グレイことフェニックスが、ヘルファイヤー・クラブという闇の組織にあやつられてしまい、その強大なエネルギーが宇宙規模で死をもたらさんと暴走します。

屋敷の室内でやり合ったり、家の裏庭でドタバタやってると思えば、銀河帝国が出てきたり月面で最終決戦があったり、全宇宙を見つめてきた謎の存在「ウォッチャー」が登場したり、と、スケールがデカイのか小さいのかよくわからない話ではありますが、成り行き任せっぽさは否めないとは言え、逆にそうでないと生まれないようなこのダイナミズムはなかなか魅力的。日本の漫画だと、これだけやろうと思うと1冊に収まることはないでしょう。本作は200ページ程度ですが、ただ、説明台詞が大量に出てくるので、一気に読むと疲れます。

【第3号】アイアンマン:エクストリミス

エクストリミスというスーパーソルジャー生成用の薬剤(キャプテン・アメリカに使ったものと同じようなものでしょうか)を使って超人化した殺人鬼を止めるために、トニー・スタークは自らエクストリミスを使い、アイアンマンと一体化します。本作は映画版「アイアンマン」に影響を与えたそうですが、アイアンマンと一体化することで、体の一部のようにアイアンマンスーツが現れるようになるのは、映画でのスーツの装着シーンの元ネタなのかも知れません。あとは前日譚としての無骨なプロトタイプのスーツや、トニー・スタークが死の商人呼ばわりされているくだりなど、随所にそれらしい描写はありつつ、お話は全くの別物と考えた方がいいでしょう。写実的なリアリティを追求したビジュアルと、セリフ少なめで映画的な横長のコマを多用した見せ方は、主に視覚に訴える作品作りになっていますが、ストーリーもそれでいてなかなかの面白さ。ここまでの3作の中では一番読みやすいと思いました。

【第4号】アルティメッツ Vol.1

映画版「アベンジャーズ」の元ネタのようです(作中で「キャプテン・アメリカの映画化の話」が話題に上り、ニック・フューリーが「俺の役はサミュエル・L・ジャクソン一択」と断言していて、実際サミュエル・L・ジャクソンそっくりに描かれています。本作が描かれた時期は、息子ブッシュ大統領が登場するところからも察しがつきます)。ニック・フューリーとブルース・バナーが、強大なヴィランと対決するためにスーパーヒーロー集団「アルティメッツ」を結成すべく、戦後から氷漬けにされていたキャプテン・アメリカを発掘し、ジャイアントマンの実験を成功させ、ソーに打診する……と努力を重ねるも話はまとまらず、最後は「強大なヴィランが登場すりゃまとまるだろ」とブルース・バナーがハルクになって暴走するという、マーベルにありがちなマッチポンプ感あふれる作品です。「アベンジャーズ」の元ネタだと思うからこそ面白いけど……とは思いました。続きが続巻で出るようです。

【第5号】ヴェノム

アメコミは、表紙と本編は絵師が違いますが、本作はその落差があまりに大きいというか、ほぼ詐欺じゃないかと言いたいところですが、しかしこの作品は、ここまでの5作の中では一番骨太で面白いです。

主人公はスパイダーマンの親友フラッシュ。戦場で両足を失った彼は、シンビオート=ヴェノムをスーツとして身にまとうと、強靭なファイターに変貌し、軍事兵器として戦地に赴く任務を請け負います。しかし、シンビオートは危険と隣り合わせで、常に肉体をのっとり暴走しようとするヴェノムと緊張関係を伴いながら戦い続けます。

自身の身体的コンプレックス、周囲からの無理解、アル中の父親との確執など、自らの居場所を戦いの場に求めてしまう彼の悲哀が生々しく描かれていて、最後まで切ない気持ちにさせられながら、非常に重厚な作品に触れられたような充実感があります。

【第6号】ドクター・ストレンジ:ウェイ・オブ・ウィアード

一応話は途中で終わっているので、続きが気になってもおかしくないですが、さほど話らしい話が前に出てくるわけでもない、ただただ不気味なクリーチャーが画面狭しと飛び回って終始異形の世界と現実を行き来し続けているので、それを楽しめるかどうかという感じ。ドクター・ストレンジに「第三の目」がある、スカーレット・ウィッチが友達っぽく酒場で魔術師連中とたむろしてる、人間の口にするものは食べず、妖怪みたいなものをガツガツ食ってる、など、映画版と比較して楽しむにはいいですが、作品としては、面白いのか面白くないのかすらよくわからない感じです。

【第7号】キャプテン・アメリカ:ウインター・ソルジャー

タイトルから映画版の「ウインター・ソルジャー」を連想する人も多いでしょうが、そもそも映画版「ウインター・ソルジャー」ってやたら評価が高いですが、多分原作読んだ人でないと、あの映画ってあんまりよくわからなかったんじゃないでしょうか。僕は本作を読んで初めて、「バッキーってそういうやつだったのか」と得心しました。

つまりそれは、マーベル史の中でのバッキーというキャラクターの位置付けや変遷を知っていて、あの映画での「バッキー登場」はインパクトを持ち得るわけで、単に一作前の「ファースト・アベンジャー」で死んだはずのバッキーが戦闘兵器に変えられて……ということだけではあまりピンとこないわけです。だってバットマンのロビンならまだしも、日本でキャプテン・アメリカとバッキーのコンビなんて知ってる人、ほとんどいないでしょ。

MCUだけ観てたらわからない部分を的確に補間してくれるし、作品としても非常に上質で面白い作品です。

【第8号】ソー:リボーン

本シリーズ中でも、最も「途中だけを読まされてる感じがする作品」です。本作の前になんかすごいことが起こったっぽくて、そのあと眠りについたソーが目覚めるけど、とりあえず人間社会の一部に無理やり仮住まいを始めて、あとは紛争地で活躍したり自治会に出席したりしながら思わせぶりなセリフが行き交ううちに、地面にうつ伏せに倒れて終わり……という、ちょっと何言ってるのかわかりません。この後何かが起こって本格的に物語が回り始めるのかなあ、という予感はあるんですが、そこ止まりという感じでした。

【第9号】ウルヴァリン

映画版「ウルヴァリン:SAMURAI」のベースとなった作品ということですが、大まかな設定だけを取り入れたようです。

日本に住むガールフレンドを助けるために日本に乗り込むが返り討ちにされ、他の女性と仲良くしてたら実は敵の手先っぽくて……という、まあ、どこかで聞いたことのあるような話を、日本を舞台に繰り広げているわけですが、マーベル史としては、ウルヴァリン単独作品の始まりでもあり、ウルヴァリンという人気キャラクターが確立する大きなターニングポイントでもあったようです。

しかしそのあたりの意義を踏まえていたとしても、特に面白いとも思えない作品でした。刊行された1982年といえば、まあこんなもんかな、と思わなくもないですが。

【第10号】アストニッシングX-MEN:ギフテッド

「ダーク・フェニックス」の数年後のお話。ミュータントを人間に戻す薬が開発されたとの報に、世のミュータントたちは列をなして薬を求め、X-MENたちはその裏側に蠢く陰謀に迫る……というお話。脚本は劇場版「アベンジャーズ」でお馴染みジョス・ウェドン。

なぜかずっと喧嘩してるX-MENたちが、いざという時は完璧なコンビネーションでヴィランを倒す、という古典的だけど胸熱な展開がいいです。でも本作の最大の魅力はグラフィック。絵が生き生きとしています。アメコミのリアルな絵としての魅力は十二分に満たしながら、ちゃんとマンガ的なダイナミズムが効いています。ユーモラスなシーンはしっかりユーモラスに描いているし、大コマや見開きの使いどころ、使いこなし具合は見事です。セリフに頼りすぎず構成と画力でしっかり勝負しているので、ストーリーがより面白く感じます。どのページも見ていてずっと楽しい。気持ちいい。続巻で続きが読めるようなので、そちらも楽しみです。

というわけで、最初の10号までをざっとおさらいしてみましたが、僕のおすすめは「ヴェノム」「ウインター・ソルジャー」「アストニッシングX-MEN:ギフテッド」です。

面白そうな巻だけ買って読むのが正解だと思うこのシリーズ、よければご購入の参考にしてください。

20号まで買ったらまた書きます。

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