前回から始めた、QUEENのデアゴスティーニ盤のリリースに合わせて、各作品について彼らの音楽について、そしてアナログ盤の音について書いていくシリーズ、第二弾はデビューアルバム「QUEEN」です。
1stアルバムらしく、言いたいことがたくさんあって、精一杯詰め込まれているというのが、裏ジャケのてんこ盛り写真からも伺えます。初々しい。実に初々しい。
独特のコーラスワーク、レッド・スペシャルの個性、既に完成されているフレディの歌唱力、そしてその後70年代いっぱい堅持されることになる「…and nobody played synthesizer」もあり、QUEENらしさの多くが既に揃いつつありますが、フレディらしいピアノが聴けるのは、まだインスト版でしかない”Seven Seas of Rhye…”ぐらい。非常にハード・ロック然としたアルバムです。
作曲は主にブライアン・メイとフレディ・マーキュリーによりますが、やはり聴きどころはフレディの才気走った作曲能力です。冒頭ブライアンの”Keep Yourself Alive”、Smile時代からのレパートリー”Doing All Right”までは、非常にオーソドックスなハード・ロックの域を出ず、逆に後のQUEENを知っていると新鮮ではありますが……という感じ。しかしそこから続く、”Great King Rat”、”My Fairy King”、そしてB面に移っての”Liar”という展開は、次作の「SIDE BLACK」の助走とも言える、初期フレディを象徴するような劇的な楽曲が続きます(歌詞において”Mercury”という言葉が何度か出てくる点も、スタート地点に立ったフレディの決意表明のように感じられます)。
ブライアンもデビュー当初から既に完成に近いギター・テクニックを備えていて(そもそもデビュー当初はフレディのボーカルよりもブライアンのギターに注目が集まっていたようですし)、そのアベレージの高さには驚かされます。彼はこのまま自分のポテンシャルを活かし、作曲・ギター、ボーカルそれぞれにおいて新たな表現を順調に開拓させながら、フレディの旅立ちまで一歩も後退することなく、着実に積み上げながら前進していきます。気まぐれなフレディ、大器晩成すぎるロジャー、マイペースなジョンを乗せたQUEEN号を安定飛行させていた(そして今も乗客を変えながら飛ばし続けている)のは、やはり彼だったのでしょう。
いわゆるロックの常套句と言えるような要素は少なく(逆に、本作ではその要素が随所に残っていて、自作以降、ほとんど出てきません)、クラシック含むさまざまなジャンルの要素を取り込んでいるところはプログレの手法と似ていますが、それを一つの楽曲の中でごった煮的に混ぜ合わせた上で、4〜5分程度にまとめてしまえるところが彼ららしさでしょう。
“My Fairy King”では、既に対位法的なハーモニーを取り入れています。この時点ではまだ手際が甘いですが、その後「A Day at the Races」あたりまでフレディによって取り組まれることになる重要な要素がデビューアルバムに既に込められているという点は特筆すべきでしょう。また、ブライアンによる”Keep Yourself Alive”での和声的なギターオーケストレーションと、本曲でのポリフォニックなアプローチを比較することで、ギターを主体としたロック的な作曲法のブライアン、ピアノを主体としたクラシック的な作曲法のフレディ、というスタイルの違いも認識することができ、その後の楽曲を聴く上での構造理解の補助ともなります。
「A Day at the Races」あたりまでの要素の話で言えば、”Jesus”は興味深いです。後に宗教にまつわる音楽はやらないと言っていたフレディが、モロに福音書を踏まえた曲を書いています。これをキリスト教的な考えを取り込んだと捉えるよりは、物語としての福音書の魅力を音楽にしたと捉える方がしっくりくるので、フレディにクリスチャンの側面があるとは考えない方が良いでしょう。それよりも、注目すべきは楽曲の構造です。
歌詞は、1番と2番はイエスがらい病患者を救うエピソード、3番と4番はイエス誕生の時について歌っています。なぜか順序が逆ですが、どちらも救世主の存在を前向きに捉えた内容です。サビも「皆が主イエスに会いにくる」というような、前途明るいイメージを持っています。
しかし、曲調が明らかに暗く、重々しい。まるで、重いものを引きずるかのような調子ですが、これはまさにイエスが十字架を引きずっていると解釈すると、演奏はイエスの最後を描いていると考えられます。3番ではキーが上がり、激しい間奏が入りますますが、4番で再び戻ります。これも、ゴルゴタの丘を上る途中、イエスがつまずき倒れる場面と符合します。
つまり歌詞は明るく、イエスという「光」に向かって進(逆)行しているのに、演奏は死という闇に向かって進行しています。もっと言えば、「光に向かって下り、闇に向かって上っている」わけです。この、相反するもの、明暗はっきりと分かれたものが重ね合わされている構造は、後の「QUEEN II」におけるSIDE WHITE / SIDE BLACK構成、「A Night at the Opera」/「A Day at the Races」の組み合わせで見せる、モノトーンでの表裏一体的演出の萌芽だと捉えることもできるのではないでしょうか。
閑話休題。前回コテンパンにけなしたロジャー・テイラーも、本作での”Modern Times Rock’n’Roll”は悪くない出来です。というのも、当時のQUEENは先に書いたようにハード・ロック然としたバンドで、後に「Sheer Heart Attack」に収録されるキレッキレのハード・ロックチューン”Stone Cold Crazy”は、メンバー4人で初めて作った楽曲だとされていますし、つまり、そういうバンドだったわけです。ロジャーもこの時点ではそのつもりで演奏・作曲していたと思うんですが、フレディが作曲した耽美的な要素を持つ楽曲の方がQUEENの可能性を大きく強く開拓していく推進力を持っていたのでしょう。この後、このような典型的な疾走系ナンバーは必要性が薄まり、その中でロジャーは新たなスタイルを模索するも、なかなか良い成果に結びつきませんでした。捨て曲と言って差し支えない冴えない楽曲を作り続けた彼が待望のヒット曲にたどり着くのは”Radio Gaga”を待たなければいけませんが、彼自身の作曲能力が開花するのはもう少し早いタイミングになります。それについては該当作品にたどり着いたときに改めて。
ジョンは、後の「自由自在に歌う、色気のあるベースライン」には至らないまでも、その片鱗をうかがわせるフレーズが散見され、まだまだおぼつかないながら(なにせまだ当時は学生でしたからね)、彼がベースという楽器の可能性をどのように捉えていたのかが感じられる演奏をしています。
ともあれ、QUEEN屈指のハードさと初期フレディのファンタジックな魅力を堪能できる本作。世間的には録音が悪いという印象が強く(スタジオの空き時間しか使わせてもらえなかったという逸話がその印象を強めているところもあるでしょう。その時スタジオでちゃんと録音させてもらっていた側のミュージシャンの1人、デヴィッド・ボウイとその後仲良しになり、名曲”Under Pressure”まで生み出しているんですから、世の中わからないもんです)、確かにドラムスが引っ込んでたり、ギターの「ジー」というノイズが入っていたり、全体的に歪み気味だったり、正直「デモテープっぽい音」という印象は拭えません。じゃあこれをアナログLP180g重量盤で買う価値があるのかというと、実はこれが「大いにある」のです。
まず全体的に音がデカく、強い。これはおそらく、余分な加工がない分、ほぼ素のままの音が録られているからで、特にギターの音は凄まじい。”Doing All Right”でブレイク後に突然バカでかい音で入ってくるギターリフも、レコード、そしてヘッドホンではなくスピーカーで聴くと、センターにどーん、と飛び込んでくるその勢いとザクザクとした生々しい質感は最高です。
先に「デモテープっぽい音」という表現をしましたが、デモテープの音が丁寧に録音・マスタリングした音源に勝ることはあります。生々しく、激しく、初期衝動を目一杯詰め込んで一気に爆発させたこの作品への彼らの思いは、オリジナルマスターからハーフスピードマスタリングされたデアゴスティーニ盤で聴くと、鮮明に、しかしワイルドさを保って、しっかりと受け止められているように感じます。
アナログ盤に針を落とし、自宅のオーディオシステムのスピーカーから、可能な限りデカい音で鳴らしましょう。