MCU映画を純粋に映画として楽しむために”ネタバレ”や余計な伏線を受け入れる準備運動に最適なのは「グラフィックノベル」を読むこと

先日、「ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス」を観てきました。
非常に楽しく観たのですが、もしここで具体的な話をしようとすると、
「ここから先はネタバレを含みます。まだ観てない人は読まないでね」
というようなことを書くのが一般的になりました。
僕は以前から、「ネタバレに警戒している人がネタバレを含む可能性のある記事にたどり着くことなんてないだろ」と思っているので、Twitterなど、本人の意思に関わらずネタバレが流れ込んでくるSNSならともかく、ブログではあまり気にせず書いてきました。
このネタバレへの警戒感は年々厳しくなり、今は試写会をやっても、ネタバレはおろか、観たことすら口外してはならないという場合もあるようで、まるで「新型コロナウイルス感染防止」のようなヒステリックさが伴うようになってしまっております。

この状況に拍車をかけたのは、MCU映画ではないかという気がしています。
それまでは、例えば「シックスセンス」のような、オチが内容全体に非常に大きく影響するような作品の場合に、「この作品はネタバレすると、作品の面白さが台無しになってしまうからネタバレ厳禁ね」と言われていたものの、他の作品に関しては、それほど神経質にならなかったと思うんですが、MCU映画の場合、各作品が独立しているようで独立しておらず、それぞれの作品が網の目のようにつなぎ合わされていて、そのつなぎ目をたどったり、どこにつながるのかを推測したり、細かなつなぎ目を見つけたりすることが楽しみの一つ、というか、それこそが楽しみだと言わんばかりの状況になっています。

結果的に、MCU映画では、劇中で起こるあらゆることが、過去・未来関わらず他の作品と繋がる伏線のように捉えられ、それが「ネタバレ」と呼ばれるようになり、上映後にTwitterに現れる感想は、「面白かったけど詳しくは何も言えない」で埋め尽くされるようになってしまいました。

この「ネタバレ」というのは、そもそも先に例に出した「シックスセンス」に代表されるようなものは別として、劇場に足を運ぶ前に、「面白かったら行きたいけど、面白くなかったら行きたくない」という、普段映画を観る回数が少ないし時間にもお金にもあまり余裕のない人が、保険として「自分にとって面白い映画かどうか」を探るための情報として扱われてきたと思うんですが、今はそういったライト層への反発に加えて「映画の一回性を存分に楽しみたい」映画ファンの過剰な保守意識が、ネタバレ警戒に拍車をかけているような状況です。

特にMCU映画に関して言うと、最近はDisney+で配信しているドラマシリーズとも連動して、映画からドラマ、ドラマから映画というつながりも現れ出し、これまで「MCUは全劇場作品を観ないとダメ」が「MCUは全劇場作品とDisney+に契約してドラマシリーズも観ないとダメ」という状況にしようとしています。

このディズニーのやり方には反発も多く、「もうMCU作品は金輪際観ない」と絶縁上を叩きつける「離脱者」もいるようです。かく言う僕も、昨年上映されたMCU作品のどれもこれもが、作品単体としても微妙だし、別作品への誘導の仕方やドラマシリーズへのつなげ方も守銭奴じみていて非常にげんなりしてしまったので、「今年初めのスパイダーマンを最後に、MCUは卒業してSSU(Sony’s Spider-Man Universe)だけ追っかけるようにしよう」と思っていました(「モービウス」面白かったです)。

ところが「ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス」の噂が流れてくると、やけにおもしろそうな気がしてくるのです。どうやらサム・ライミが、これまでとは一味違うことをやらかしてくれているようで……。

観たいなあ。でもMCU(ディズニー)のやり口はムカつくしなあ。どうしようかなあ……と悩んだんですが、初めに書いた通り、結局観に行きました。
ただ、今回は、鑑賞前にBLACKHOLE TVでの映画評を先に観て行くことにしました(しかも、1作目は未見のままで行きました)。

この布石としては、POPLIFE:The Podcastで田中宗一郎が「先に詳細を把握してから観に行くと、話の筋に気を取られすぎず、画面に集中できる」というような話をしていて、そこまでラディカルでなくても、確かに「この後どうなるのか」に気を取られてスクリーン上で起こっていることに集中できないことがたまにあるので、もしかするとそれもありなのかもしれない、と思っていました。

事前に、どんな仕上がりになっているか、どんなことが起こるか、どんなサプライズがあるか、ポストクレジットで誰が出てくるかなど、大体わかった上で観に行きましたが、結果としては、非常に楽しかったです。ここは、それこそマルチバースのようにネタバレを見ずに観た僕がいるアースなんとかでも行かない限り、どちらが楽しめたかわかりませんが、逆に言えば、そうでもしなければ分からないぐらいの違いで、「これは知らずに観たかった」というほどのサプライズはなかったです。というか、予習したことを、そんなに念頭に置いて観ているわけではないので、オチがわかってみているというよりも、そのシーンになった時に「あ、これがBLACKHOLEで言ってたアレかあ」と思い出す、という感じだったので、それはそれで楽しかったです。

そこで気づいたんですが、今回、配給側がネタバレを警戒していたと思われるポイントがいくつかありましたが、そのいずれもが、「映画単体で考えた時にはどうでもいいこと」だということです。つまり、過去のMCUやマーベル作品からの「つながり」に関するところで、映画本編の展開における「そのオチ言っちゃったら楽しみがなくなる」というクリティカルなものはひとつもなかったということです。

そして振り返ってみると、これまでのMCU映画も、「それは知らずに観たかったわ」のポイントのほとんどが、古参ファンへのサービスカット、「MCUを真剣に観ているファン」へのイースターエッグや伏線だったのではないかと気づきました。「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」ですら、オチまでわかっていたところで、もし本作だけ(もしくは「ホームカミング」からの3作だけ)を観ている「普通の人」からすると、特に支障がなかったんじゃないかとすら思います。もしかすると、「アベンジャーズ/エンドゲーム」であっても、先に前作までのあらすじと本編のオチまで知った上で観ても全然大丈夫だったような気さえします。

結局何が問題なのかというと、「作品内で起こっていること、仕掛けられていることを満遍なく楽しみたい」と考えてしまうことで、普通の人との間に「なんか初見では楽しめなさそう」という距離感を生み出し、MCUファンの中に「一切のネタバレは許さない」という厳格な戒律を植え付けてしまうことになってしまい、これは作り手含めた三方が全て損をする結果になってしまっているのではないかということです。

この、束縛と分断を生み出すだけの、不幸で無意味なルールから解き放たれるには、どうすればいいのか。僕の結論は、「適当に観ることに慣れる」ことです。

そもそも、「シリーズ全てを漏れなく観ないといけない」というルールが間違っています。昔は、映画のテレビ放送が頻繁にあって、「途中から観る」「最後だけ観る」という宙ぶらりんな状況は日常茶飯事でした。別にあらすじがわからなくても細かな伏線に気づかなくても、それで何も問題なかったわけです。

しかし今更「適当に観ることに慣れる」というのもなかなか難しい……と思ったそこのあなたにお勧めなのが、「マーベル グラフィックノベル・コレクション」です。

このシリーズは、膨大にリリースされてきたマーベル・コミックスの中から厳選された作品を、ハードカバーの装丁で隔週で発行しているもの。しかし基本1冊完結で続くシリーズですので、今のところほぼどの巻も(一応キリの良いところから始めていますが)前回までのあらすじのようなものから始まり、最後は続きを匂わせるような状態で終了しています。途中に出てくる登場人物やキャラクターも、こちらは初見でも「お馴染みの」といった顔で登場する場合があり、逆に、MCUで見知ったキャラが「なぜここにいるんだろう」という登場の仕方をして、結局最後までそれがわからないこともあったりします(「ドクター・ストレンジ:ウェイ・オブ・ウィアード」では、魔術師が集う酒場にドクター・ストレンジの友人のようにしてスカーレット・ウィッチがしれっと登場しますが、特に何の活躍もしません)。

ところが隔週で毎回”違う作家”の”違うヒーロー”の”違う話”を読み続けていると、不思議とそのような問題も、あまり気にならなくなり、そういうことはどうでもいいという思いで、真剣にならず、適当な気分で読むことができるようになります。それで面白いのかと聞かれると、これが意外に面白い。逆に、日本の漫画のように延々引っ張っていつまでも終わらない漫画に付き合わされ続けていると、むしろ爽快なぐらいです。

この感覚は、大雑把にいうと、「MCU映画をポストクレジットを観ずにてんでバラバラに観る」ことにかなり近いと思います。

つまり、こうやって「初めから観ることができない」「全てを網羅することができない」ことに耐性を作っておけば、MCUだって途中からでも平気で観られるので、新参者がその場で急に本作を劇場で観ても楽しめるし、逆に途中のMCU作品やドラマシリーズを数本見逃しても気にせず楽しめるようになるのです。

僕はおかしなことを言っているでしょうか。むしろ、映画を観るという行為において、ごく基本的なことを言っていることにならないでしょうか。当たり前なことを言っているのに奇妙に聞こえるほど、今のMCU映画(とそのファンダム)は、ねじれにねじれきっているように思えます。でも、今回サム・ライミ監督が示してくれたように、MCUの中でも、なんの予備知識もなく、単体映画として面白い作品だって作れるし、それは誰にでも楽しめるのです。

ディズニーのコントロールに負けず、自由に楽しむ自由を取り戻し、存分に映画を楽しみましょう。


ドクター・ストレンジ:ウェイ・オブ・ウィアード

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