最近、本屋が混んでる気がします

元々本屋は好きでしたが、ここ最近は、より頻繁に本屋へ行ってます。

なぜだか自分でもはっきりと認識しているわけではないんですが、理由の一つは、大型店が充実したことにより、興味の対象の本に遭遇する率がぐんと上がったことがあると思います。

小型・中型店は徐々に淘汰されているかも知れませんが、本はどこに売っていようが中身は同じなので、本屋は数が揃えばそれだけで強力な存在になります。

もう一つの理由は、ネットで安く買えるとしても、手に取って中身が見たい、という欲求と今すぐ欲しいという欲求がネットを超えてしまうことが増えたからだと思います。

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「ブッダと法然」――念仏の理由と「他力本願」、そして21世紀における仏教の意義

ここ数年、毎年のように身内の不幸が続き、当事者として葬儀の席に足を運ぶことが多い昨今です。ググったら去年が本厄だったので、思い当たることがあり過ぎて一瞬「厄払い」という言葉が脳裏をよぎりました(一瞬だけですが)。

数年前、父が他界した際には、父、そして残された母の考えの元、ごくごく小さな家族葬だけで済ませ、お寺にもお坊さんにもまったくお世話になることなく、遺灰も未だ自宅に置いてある状況です。子供の頃、人が死んだら坊さんが来てお経をあげるのが避けて通れない決まり事だと思い込んでいたので、宗教一切を信じない父と母が死んだときにはどうすればいいのだろうと思い悩んでいましたが、答はお経を上げてもらうよりもはるかに簡単(しかも安価)でした。母の時も同じようにしよう、と母とも父の死後話しました。

ここ数年、仏教の本と言えば、日本に伝来し、紆余曲折を経て今の形になった仏教ではなく、そのルーツになるような原始仏教やブッダについての本しか読んでいなかった僕は、「今、自分たちの生活の中で断片的に関わりを持っている仏教って変じゃないの」というイメージを補完するための情報、つまり「ほら、ブッダの言ってたことからしたら、今の仏教は全然違うじゃないか」という理由ばかりを集めていたように思います。ブッダの言葉に得心するとともに、仏教に移入できない自分を肯定したかった、というような心理。

そこ(つまり今の日本の仏教は可笑しい、という考え)にあまり疑問を持たずに過ごしてきたのですが、去年、「もしかすると、僕は大変な誤解をしているのかも」と思うきっかけがありました。きっかけとなったのは、僕の義理の弟の死に顔でした。

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「星の王子さま学」で解ける夢/解けない夢、そして点灯人は友達になれそうだろうか

数年前、子供が4歳ぐらいの頃だったと思いますが、本を読み聞かせしていると、少し長いものでもじっと聞けるようになってきて、ももいろのきりんなどを読んであげたりしていたんですが、他にも何か読んであげたいな、と思って本屋をうろうろしていたのが、「星の王子さま」との出会いでした。

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