「これからの広告」として考える「ショールーミング」から「ウェブルーミング」

「オーケー、認めよう。広告はもはや「嫌われもの」なのだ — LINE 田端信太郎」

記事タイトルに“田端信太郎”とあると「あーまたポジショントークかなー」と正直うんざりしつつ、読むとやっぱりそうで、でもLINE全くと言っていいほど使わない僕にも「そうそう、もっと言ってやってよ」と思えるような、特に広告についての発言が多いという印象の方。今回始まった連載コラムの記事も、一本目から「広告が嫌われ者なんて、僕が子供の頃からそうだったし、あなた私と同い年だからわかるんじゃないの」と、煽り気味なタイトルに眉をしかめつつも、読み進めると後半にパンチラインが待っていました。

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「観光客の哲学」はさまざまな閉塞感に対して「応用」できる(という誤解≒誤配)

自分はいわゆる“左向き”な思想ですが、10年以上前から市民運動やデモ、勉強会などに顔を出しつつ、どこかに違和感を抱いていました。一言でまとめるとそれは「排他性」と言えるかもしれませんが、それでも総論賛成という思いから、考え自体はあまり変わらず、むしろ積み上げ、肉付けしていくような年月を過ごしていました。

しかしその違和も気づかないところで同時に積み上げられていて、それは2年ぐらい前に耐えきれない重さにまで膨らんでいました。

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子供にも分かる勉強の理由って何かしら

「なぜ勉強するのか?」という、子供が小学校に入学し、子供にどうやって「勉強の大切さ」を分かってもらおうかと考えていた頃に買い、読んだ本ですが……。

「子どもの勉強に悩んでも、この本だけは手にとってはいけません!」

読んだ後にこのレビューを読んだら、「ああ、読後のモヤモヤが一気に晴れた」と爽快な気分になり、「なんでこれ読んでから買うかどうか判断しなかったんだろう」と思う反面、「読後の答え合わせというのもなかなか面白いの」とも思ってしまう、なんとも言えない印象の残る本です。

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