芸能山城組ケチャまつり at 新宿三井ビルディング55HIROBA (Tokyo)

この日は新宿三井ビル55HIROBAで行われた芸能山城組ケチャまつりに行って来ました。

cakfestival

午前中に渋谷のBunkamuraザ・ミュージアム「エリック・サティとその時代展」を観て(ロートレックの作品、ジムノペティの直筆譜など、目を奪われるもの多数でしたが、1時間弱の駆け足気味の滞在でした)、ひと息つく間も惜しんで急ぎ足で新宿へ。55HIROBAに着くと丁度12時。まさにケチャまつりが始まる直前でした。

まずはジェゴグの合奏。竹筒を布やゴムの巻かれたバチで叩かれる「コンカラコンカラ……」という独特の音色によるミニマルな雰囲気の演奏が、周囲の蝉の声に混じりながら、少しずつ集まり始めたお客さんの中に響きます。場所は高層ビルに囲まれたビジネス街ですが、以外に騒音は耳につかず(近くで工事もしてましたが)、聴こえてくるのは虫や鳥の声、広場を通り過ぎる人たちの話し声。どこの町にもあるような、誰もがちょっと腰を下ろして休める普通の広場ですから、一見、これもまたどこの町にもある、休日の昼下がりにこのような広場で催されるアマチュアの演奏会とあまり区別がつきませんが、山城組もアマチュア集団とは言え、豪奢な大城門もジェゴグも規格外という感じ。この時間の演奏はPAを通していなかったようですが、一見それほど大きな音が出るように見えないジェゴグの生音は思いのほか大きかったです。その音に、後半から柔らかな女性の合唱が混じり合って、とても心地良かったです。途中、お客さんがジェゴグ演奏を体験できるコーナーもありましたが、皆がバラバラに叩いている音がまた心地良く、本番の演奏よりも聴き入ってしまうぐらいでした。

数日猛暑日が続いていましたが、この日の東京は比較的涼しく、日差しは強いものの、不快感は殆ど無し。覚悟して日除けの帽子や汗を拭くためのタオルも持ってましたが出番はありませんでした。

しばらくお昼の休憩に入り、とりあえずビルの中のうどん屋で昼食を済ませました。その間、舞台では山城組の子供たちがバンブーダンスに勤しんでいました。広場にはグッズ売り場の他にも色んなお店が出ていて、山城組の祭り半纏を着た人たちがそこかしこにいたんですが、小学生ぐらいの子供も何人も見かけました。

お昼休みの後14時から、奥山行上流餅田鹿踊保存会による鹿踊。太鼓含め15〜20キロはあるという衣装を見にまとって9人で爆音を打ち鳴らす様は壮観ですが、リーダーを努める方のリズムが若干ヨレてたのが気になりました。顔が見えないんですが、年配の方なんでしょうか。

15時、再びジェゴグの演奏へ。今度はエレクトリック・ドラムとシンセが加わった、「アキラのサントラ」モード。先ほどとは違い、ジェゴグにもマイクが吊るされ、後方に手持ちマイクの合唱も加わってのパフォーマンス。サントラの中で、代表的なものを数曲披露してくれましたが、ジェゴグと声明を組み合わせたナンバー“荘厳陀羅尼”は合唱グループとしての山城組の魅力も堪能でき、鳥肌が立ちっぱなしでした。

16時からは、じゃんがら念佛踊りと再び鹿踊。一糸乱れぬ太鼓と鉦の音が力強いじゃんがら念佛踊りの後に続いて鹿踊が出てくると、やっぱりリズムがちょっとヨレて聴こえます。もしかするとわざとなんじゃ……とかポリリズムになってるんじゃ……とか思って聴いてみるも、どうも歩きながら叩いているうちに裏に入っちゃってるようにしか聴こえません。ただそれが、図らずもリズムのうねりのように感じてグルーヴィに響いて聴こえもしましたが。

なお、演奏時間はいずれの演目も(最後のケチャを除くと)20分〜30分程度で、セットチェンジの間は、お客さんを巻き込んでバンブーダンスをやったり、何故か紙飛行機の飛ばし合いっこをしたりしていました。録音作品のマニアックなイメージとはほど遠い、実に庶民的で人懐っこい山城組。

17時から、女声合唱と男声合唱が順番に、広場横手の階段に一団ずつ横並びに立ってパフォーマンス。女声によるブルガリア女声合唱は、「黄金鱗讃揚」で聴くことのできる美しい声の響きが堪能できる歌唱で、同盤の解説では“アヴェ・マリア”のパフォーマンスにおいて宗教音楽が断ち切っていたエロスの内在について多くのスペースを割いていましたが、正にそんな艶かしさが感じられました。生音かと思って聴いていましたが、男声合唱と入れ替わると、歌の途中で歪みのようなものを感じたので近くまで観に行くと、手すりの所にマイクが貼り付けてありました。それにしても、殊更にPAで増幅させたような歪さを全く感じなかったので、最低限の補助的に使われていたのか、エンジニアが余程巧みにセッティングしたんだろうと思います。男声合唱は、サカルトベロという耳馴染みのない名称で呼ばれていましたが、グルジアのことらしく、日本で「ジョージア」と表記することに変更されたのを機に、本国での本来の呼び方である「サカルトベロ」に変更したとのこと。白眉は、3人が別々のメロディを同時に歌い、それがひとつの合唱になったり分離したりを繰り返す“ハッサンベグラ”という変態ポリフォニーな曲。リズムではなく調がバラバラなので、まるで無関係の歌を重ねているような違和感があり、それが逆に心地良く感じる不思議な音楽。

陽も陰ってきて風も心地良く、すっかり涼しくなってきた18時、ガムランの演奏が始まります。まずは器楽のみでの演奏。それぞれの奏者の音が編み物のように幾何学的に絡み合いながら生み出されるリズムとメロディ、そして金属的でしかも聴覚を心地良く刺激するサウンドが、広場一体を埋め尽くします。PAモニタは大城門のところ、つまり奏者の後方に配置されていて、やはりマイクで拾った音を直接聴かせるのではなく、生の音をより強調するというニュアンスのようで、スピーカーの存在やPAの増幅を感じさせないナチュラルかつダイナミックな響きでした。ガムランのセッティングの際には組頭の山城祥二も現れて何らかの指示を出していたようですので、音響は肝入りのようです。

続いての曲では、バリの伝統衣装に身を包んだ踊り子が6人、大城門から登場すると、演奏に合わせて華やかに踊り回り、お客さんに向けて皿に盛られた花を撒きます。次の曲では、美しい飾りや衣装に彩られた煌びやかな踊り子が2人、きびきびと演奏にシンクロした見事な踊りを見せてくれます。あまりの素晴らしさに、思わず涙腺が緩んでしまいました。

陽の高いうちはまだ余裕のあった広場も、暮れ始めたこの時間になるとびっしりと人で埋め尽くされ、広場の上の通路や道路脇も人でいっぱい。風が強まり気温も下がってきて、少し肌寒さも感じるくらい。

19時の2度目のガムラン演奏を前に、舞台でバナナの叩き売りが始まります。100万円から始まり、徐々に値段を下げて1万円に……といったところで突然、広場全体で「バナナマン」を呼び込むと、黄色いタイツに身を包み、風呂敷のマントを着け、両手に水鉄砲を持ったヒーロー(なのか叩き売りの使者なのか)バナナマンが登場。巧みな客いじりで場内を一体化してしまう話術は実に見事(お客さんを次々に水鉄砲で攻撃し、「おにぎりなんて食べてるんじゃありません」「写真撮ってる場合ですか」「バナナを買いなさい」等と叱責、僕も大笑いしてたら「お兄さん笑ってるんじゃありません」と水鉄砲で打たれました)。突如始まったコントのようなバナナ売りは、バナナマンによる新しいバナナの食べ方のレクチャー(バナナにからしとケチャップを塗ってお客さんに無理矢理食べさせたり、唐辛子をかけてお客さんに無理矢理食べさせたり、バナナの皮を細く裂いてそうめんつゆにつけてお客さんに無理矢理食べさせるなど)を織り交ぜて、最後は手頃な値段になったところでご婦人に買い取られて終了。途中水鉄砲をかけられた子供も泣き出すし、これぞ昔見たヒーローショーという感じのこの演目から間を空けずにガムラン演奏が始まってしまったので、そのことにも思わず笑いが込み上げてきました。

この2度目のガムランでは、奏者の衣装は前半の半纏から現地のガムラン演奏の写真や映像で目にしたことのあるような燕脂の衣装に着替えていて、オレンジの照明に照らされたことも相俟って、より荘厳なムードが漂っていました。後半ではシヴァが登場する物語が、二人の女性の踊り子と仮面を被ったシヴァによって演じられる壮大な演目。圧倒的なパフォーマンスでした。

続いて、3度目の鹿踊の登場。この時は一番前で観たので、音の迫力は抜群。演奏の最後、演者の荒い息づかいが聞こえてきましたが、それだけ激しく体力を消耗する踊りだと思うと、リズムのズレも致し方無し、と思えてきたりして。

そしてしばらくのセッティング(この際、広場のスペースを確保するためにお客さんの座席を少し変更したんですが、それを誘導する山城組のメンバーが例のバナナマンだったのでお客さんから「バナナマン、バナナマン(拍手)」「あ、どうも……」というやり取りがあったり)の後、いよいよケチャの始まり。大城門から腰布を巻いた上半身裸の男性が数十人、怒濤の勢いで現れ、円陣を組むとお馴染みケチャの「チャ、チャ、チャ……」の声が響き渡ります。男性の中には子供も交じっていました。

一旦静まると合唱者に向けて清めの水を撒くような儀式があり、続いて「ラーマーヤナ」の物語に沿って踊り子が踊り、話の流れに合わせて永井一郎風のナレーションが重ねられます(そのナレーターは、バナナマンをやっていた人が合唱しながら合間に行っていました)。物語の進行に従って、鬼のような形相で奇声を上げるラーヴァナ王、おどけた仕草で跳ね回るハヌマーン、身体をリズムに合わせて揺らし、纏った鈴を鳴らしながら踊り回るガルーダらが次々と現れ、合唱隊の様々な動きや合唱の展開とともに、物語の世界へとぐんぐん引き込まれていきます。

数十の肉声と踊りで構成されたプリミティブなパフォーマンスは、ラーマ王子とラーヴァナ王の対決を迎え、例えようの無い高揚感の中、40分ほどで終幕となりました。

芸能山城組のパフォーマンスを生で目にするのは初めてでしたが、彼らの存在に枕詞のように付いてくる「文明批判」という言葉について、強く考えさせられる1日でした。ケチャまつりが1976年から数えて40回、毎年同じ場所で、しかも入場無料で行われていることの驚異的なこと。検索すれば過去のケチャ祭りの写真や映像も出てきますが、少なくともここ数年はほぼ同じプログラムを変わりなくやり続けていること。パフォーマンスのクオリティの高さを保ちながら、老若男女が関わり合い、排他的なスタンスを取らないオープンさ。それらのことは、「アマチュア」という言葉がそもそも「素人」ではなく「愛好家」を意味することを何度も思い起こさせるし、ここ数年の音楽ビジネスの不況や迷走への違和感に対するひとつの解答のように思わされました。

岩波書店¥ 5,076(2015年08月11日現在)

5つ星のうち5.0

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