ペンタトニックと日本およびその他の国との関係性について

きゃりーぱみゅぱみゅは日本最大の輸出品!? 和の心が凝縮された“ヨナ抜き音階”とは

2年近く前の古い記事ですが、Tumblrで「ヨナヌキって日本のものじゃないですよ」という長文コメント付きで回ってきたので、この機会に改めてヨナ抜き/ペンタトニック/五音音階について整理してみました。

まずはそのTumblrで回ってきた記事ですが、

和の心とかいっちゃだめですよ。「田舎の思い出」くらいのものですよ。日本の田舎じゃなくて。どの国にも共通したもの。海外の人が聞いたら「童話っぽい。こどものときとかの懐かしい感じ」って思うのであって日本のことなんて誰も絶対考えない

についてのひとつの例として、モーリス・ラヴェル作曲の組曲「マ・メール・ロワ」第3曲“パゴダの女王レドロネット”を挙げてみます。

この曲には跳ね回るようなペンタトニックのフレーズが出てきますが、これはラヴェルが「中国をイメージして」作ったメロディです(パゴダとは中国の仕掛け人形(パゴダ人形)のこと)。

もうひとつ、お若くない方なら「遠き山に日は落ちて」でお馴染みのアントニン・ドヴォルザーク作曲「交響曲第9番 新世界より」の第2楽章。

「新世界より」は、チェコ生まれのドヴォルザークが、“新世界”アメリカより故郷へ捧げたというような体裁の曲で、ポップスで言うとくるりの“東京”みたいなものでしょうか。それゆえ、ドヴォルザークはアメリカの黒人やインディアンの音楽からのインスピレーションで作曲したと言われています。ここでも「日本」のニの字も出てきません。

冒頭の記事に戻ります。

「ドレミファソラシド」は、明治時代に西洋から輸入された音階で、それまでの日本の音楽はおおむね5音階だった。当時の日本人にとって「ドレミ〜」は、かなり難しい音階だったため、学校の授業で教える「唱歌」を5音階で作ることを政府が推奨、ヨナ抜き音階が発案された。結果、「桃太郎」を始めとして、数多くの唱歌が作られ、ヨナ抜き音階は日本人の音階のスタンダードとして浸透した

この点については、以前「新しい音楽の教科書」について書いた際にも「第六章 わらべうたと唱歌」において引用していますが、同書において、音楽教育を受け持った伊澤修二は「アイルランドやスコットランドなどの民謡や歌」を参考にして五音音階を取り入れたと書かれています。

ここで別の記事、というか別の人物の発言を引用します。ラジオ番組「菊地成孔の粋な夜電波」の特別企画として行われたトークイベント「菊地成孔のポップアナリーゼ 少女時代“GENIE”は何故いい曲なのか?」(以前はCINRA STOREでMP3音源を販売してましたが、ニコ動で有料コンテンツとしてポップアナリーゼを始めた関係からか、現在は販売されていません)において、ダイアトニックの解説から派生する形で以下のように説明しています(カッコ内は筆者注)。

ペンタトニックっていうのは(鍵盤を♪ドレミソラド〜と弾く)で、ファとシが無いんですけどね。♪ドレミソラド〜っつって。♪はるばるきたぜはこだて〜。ですからあの曲(函館の女)、ペンタトニックを下から上に上がっていくだけの、男の中の男。はるばるきたぜは〜って、こう、一個も戻んないですからね。ただ上にこうピアノがペンタトニックで上がるだけで。すごいですけど。
ペンタトニックっていうのは、読んで字の如く5個のトニック(主音)です。ペンタっていうのは“5”ですから。ペンタゴン、五角形ですから。「えっ、音が7つなのに、起点が2個(ダイアトニックのこと)なのに、音が5個になると起点が5個になるの」と思いますよね、用語上。一瞬「えっ」と思いますよね。ドレミファソラシつってさ、起点がここ(ド)とここ(ラ)にあるわけですよね。これがこう2つあるわけなんだけど、ペンタトニックっていうのはここから音を間引いたらペンタトニックは方眼関係でいうとダイアトニックの中にすっぽり入っちゃいますから。ファとシが無いだけで。ズボッと入っちゃいますよね。で、なのにも関わらず、ペンタトニックって言われてて、全部の音がトニックなんですよね。で、ペンタトニックっていうのは民族音楽、これはあのヨーロッパと言わず、もう地域と関係なく人類は5音階を作ってきたんですよ。だからまあ人類共有の属性で、アフリカの人もアジアの人もヨーロッパの人も全部。ダイアトニックをつくった総本山であるヨーロッパですら最初はペンタトニックでしたから。あの、まだギリシャだった頃は。ペンタトニックだったんで、ダイアトニックになったのはほんと最近なんですけど、地球上あまねくペンタトニックを作ってます。人類はまずは1オクターブの分割を知り、それをどうやって割っていくかってなった時に大体みんなペンタトニックにしたんですよね。沖縄も音階は違えど五音階ですから。で5個だと、全員がリーダーで、全員がリーダーってことはどこで始まってもいいしどこで止まってもいいってことですから。それで、ペンタトニックだと鼻歌が歌えるのね。あの、気安いんで。だから♪タララッタッタララララ〜(ペンタトニックで適当な鼻歌を歌う)って誰でも歌えると思うんですよ。タララララ〜ン、タララララララララララ〜ン(戦場のメリークリスマスを歌う)って歌えるじゃないですか。で、ペンタトニックはなんで歌えるかっていうと「日本人の心の中にペンタトニックの遺伝子があるからだ」とかいうような説明をされてきて、まあそれは説明概念として決して間違いではありませんが、誤謬ではないんですけども、ということよりも、音楽理論的に言うと、ペンタトニックは、とにかく全部がトニックなんで、というかもっと言うと、西洋クラシック以前の考え方にはトニックって考え方が無い(機能和声の確立は、絵画における遠近法と同じく1430年代である、と柴田南雄は「音楽史と音楽論」で記しています)ので、全部の音でどこに行ってもいいから鼻歌が歌いやすい。これがダイアトニックになると、♪ドレミファミファソラシド〜ってなって気軽に鼻歌が歌えないじゃないですか。「鼻歌歌ってみ」って言われて♪ファ〜ラバルバルバルッタッタ〜(ダイアトニックでバロック風の適当な鼻歌を歌う)っていう人がいたら音大生かキチガイですよね。「鼻歌歌え」って言われて♪ファミファ〜ソ〜ラシド〜シ〜ドレミレドッシッド〜、はい、鼻歌っていう人がいたら、まあバッハかなんかですよね。普通の人は♪タララララ〜ン、タララ〜ンってなっちゃうわけで。これだから、日本人だけじゃなくて何人がやっても同じです。で、ヨーロッパ人はもうダイアトニックですから。

先に引用した文章やクラシック、そして菊地氏の説明からすると、氏はペンタトニックを「和の心」とすることを誤謬とは言わないと言いつつ、「外から見た日本を端的に表す、音楽の代表選手」「日本の財産」であることには疑問符を抱かずにはいられません。

さらにもうひとつ。20世紀のスター指揮者としてクラシック好きでなくてもその名の知れたレナード・バーンスタイン。彼が1973年に行ったレクチャーを収録した番組「答えのない質問」の第一回、「音楽言語の普遍素」を辿るくだりで、ペンタトニックに触れています。倍音列を重ねながら調和する音について解説しているんですが、動画の42分33秒あたりから5音音階、つまりペンタトニックの話になります。
https://www.youtube.com/watch?v=fHkqmX8lZ8Q&feature=youtu.be&t=42m33s
ここでバーンスタインが、4つ目の音についてAとB♭を同時に押さえている理由は前半を観ていただければ分かりますが、要するにピアノは平均律で調律されているので本来純粋に響く4つ目の音はAとB♭の間にあるから、ということです。その二つの音を比較して、CDEGと弾いた後にAを弾いた場合とB♭を弾いた場合で比較し、「イ音(A)を含むほうに親しみを感じませんか」と問いかけ、「人類が大好きな音階です」と説きます。これは、「CDEGA」、4つ目のFと7つ目のBが無い5つの音で構成された、いわゆる「ヨナ抜き」です。

更に続けて「世界の例をあげましょう」とスコットランド、中国、アフリカのメロディをペンタトニックで奏でます。ここで注目すべきは、バーンスタインが「日本」のメロディを奏でていないことです。

先へ進むと、「ただし文化が違えば5音音階の組み立ても変わります」と語る45分41秒辺りから、5音音階のバリエーションを解説しています。移調することで生まれる別の5音音階、第4音のAをB♭にして生まれる5音音階、といくつかのパターンを弾き比べした後、「特殊な5音音階」として弾いてみせるのは、彼が「日本の伝統音楽」として紹介するGA♭CDE♭という音階。

ここで今更ながら、Wikipediaを見てみます。まずは「五音音階」。

五音音階(ごおんおんかい)は、1オクターブに5つの音が含まれる音階のこと。ペンタトニックスケールとも呼ばれる。スコットランド民謡などにあらわれる。日本の民謡や演歌にみられるヨナ抜き音階も五音音階の一つである。

さらに音階の分類として、ペンタトニックの種類とそれぞれにおける日本と国外での使用範囲を示しています。これによると、バーンスタインが弾いた「日本の伝統音楽」の音階は陰音階に使われているものということになります。しかも国外での使用例は明示されていません。バーンスタインの言う「日本の伝統音楽」は、明治以前にあった古来からの音楽を指し、それは明治以降の、音楽が教育として導入される以前、7音階も、それを「間引く」という考えも存在しなかった時代のものです。明治時代に西洋音楽を輸入するまでの日本の音楽は、中国や朝鮮から輸入したものが元になっていますが、取捨選択、紆余曲折を経ながら千年以上かけて独自進化し、磨き上げてきたものですから、最早日本固有のものと言って差し支えないでしょう。しかし亀田氏が例に挙げるような多くの日本のポピュラー音楽に使われているペンタトニックは、陰音階ではありません。亀田氏が例に挙げていたのも、どれもCDEGA、つまり世界で最もポピュラーなタイプの5音音階でした。

もしポピュラー音楽で陰音階を使っていたらどんな感じになるかというと、こんな感じになります。カナダのプログレバンド・RUSHの“Stick It Out”です。

また、同分類表では「ガムラン音階」という名が出ていますが、前述のラヴェルと同時代の作曲家クロード・ドビュッシーは、19世紀末にパリ万博においてガムラン音楽を聴き、影響を受けたと言われています。彼はその時雅楽も耳にしており、笙の響きにも影響を受けたという説も。ただ、先の“パゴダの女王レドロネット”にしても、ペンタトニック=中国、という解釈ではなく、ペンタトニック=東洋という漠然とした捉えられ方だとも言われ、同時代のドビュッシーも特定の国の音楽を想定してはいなかったかも知れません。

続いて「ヨナ抜き音階」。

ヨナ抜き音階(ヨナぬきおんかい)は日本固有の音階(五音音階)である。

西洋音楽関係者が日本音階の特徴として名付けた物である

「日本固有の音階(五音音階)」と書かれています。5音音階そのものが日本固有のものでないことは明らかですが、4つ目の音と7つ目の音を抜いた5音音階も、むしろ日本的と捉えられるのはレアなケースである、と結論づけられそうです。「新しい音楽の教科書」同様、スコットランド民謡についても触れられていますが、「同じ音階の曲が多い」と書かれてはいるものの、参考云々ということは一切触れられておらず、偶然似てた、というような調子です。日本の民謡と童歌についてのくだりも、先のバーンスタインの講義の中に、よりプリミティブな形態(赤子が言葉を覚え始める瞬間)からの成り立ちについて説かれている内容からすると、日本固有という裏付けにはなり得ません。

しかし「西洋音楽関係者が日本音階の特徴として名付けた物」という記述を改めて噛み締めてみると、ヨナ抜きという呼称に、日本固有のものと思わせる原因、もしくは意図があったのではないかという気がしてきます。つまり日本の西洋音楽関係者が、ヨナ抜きという呼称とともに「これぞ日本固有の音階である」という刷り込みのキャンペーンを行ったのではないでしょうか。理由は、その後の国家の舵取りの中でナショナリズムを鼓舞させる必要があったからではないか……と勘ぐってしまいますが。

Wikipedia上で五音音階について「この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です」と書かれていながらヨナ抜きについては注意書きが出ていないのは、そんな「日本固有のものと思わせる原因、もしくは意図」が今も強く影響を与えているからでしょうか。

しかしここまで来ると、「亀田誠治はなぜそんな間違いを犯したのか」という点が引っかかります。本当にそう思っているのか、もしくはテレビ向けに分かりやすく話しているだけなのか。僕は亀田氏の具体的な仕事について殆ど耳にしたことがないのですが、氏が日本ポピュラー音楽界で名の通ったベーシストでありプロデューサーであることは存じ上げています。その上で、本記事で指摘していることを知らなかったとはにわかに信じ難いです。一応、「彼は知っていて、テレビ向きにお茶の間サイズに言い換えた」としておきます。だとすると……ポピュラー音楽って、いまだにそんなこと言ってていいの、という別の突っ込みも入れたくなってきます。70年代の、今や骨董品扱いされているクラシック音楽のド真ん中で直球の王道を走っていたバーンスタインが、世界中の音楽を把握した上で音の起源をあれだけ分かりやすく紐解いていたというのに。

このことを考え手いた時に目に入ったのが、「クインシー・ジョーンズ、もはや音楽業界はない、と断言」という記事。クインシーは、「音楽には12の音階しかない。それで、ベートーヴェンからボ・ディドリーまで、みんなそれだけで作られている」と言ったというのです。ほんとかなぁと思って原文読んだら本当でした。

We have only 12 notes. From Beethoven all the way to Bo Diddley, all of them had just 12 notes.

世界中の音楽が手に入り、楽譜や楽理の無いあらゆるタイプの音楽が世にあふれているこの時代にそんなことを言われてしまっては、「そりゃあんたの居場所たる音楽業界ってのも無いだろうさ」と余計なことを口走ってしまいそうになります。

何が言いたいのかというと、ポピュラー音楽というのはとてつもなく巨大な産業として成長・肥大化し、最早他人の言葉に耳を貸す必要も過去を学ぶ必要も一切なくなってしまい、故にビジネスとして一直線に下降線を辿ってしまった裸の王様なのではないかということです。そしてこの歴史は、20世紀までのクラシック音楽と同じ道を辿っているとも言えるわけで、そう考えれば待ち受けている運命はおぼろげながらも見えてきます。

となれば、クラシック音楽はそのナレッジをどこへやってしまったんだ……とも思えてくるわけですが。

宮中雅楽 [DVD]
宮中雅楽 [DVD] OLDSEA 2012-06-10
売り上げランキング : 48835Amazonで詳しく見る by G-Tools

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください