積極的にオーディオを否定するオーディオ機器が、格好つけててあんまり格好良くないという感想と、カセットブームが来ないかも知れない理由

クラウドファンディングで、ラジカセのプロジェクトがスタートしたそうです。

懐かしさと新しさの共存 日本発・新たな21世紀型ラジカセをつくる!MY WAY

ちょっと期待して上記ページへのリンクを開いてみると……そのちょっとの期待は外れてしまいました。

何を期待していたかというと、「もしかすると、ようやく欲しくなるカセットプレーヤーが出てくるかな」ということでした。というのも、以前「総括・2013年 & 日野浩志郎大特集」という試聴会(今考えてもすごいイベントだったと思いますが、逆に今考えたら先取りし過ぎたなという気がします。当時、CASSETTE STORE DAYなんて想像もしなかったし)をやった時に、僕はカセットの再生環境が無かったので、何かプレーヤーを買おうかなと探してみたんですが、どうも「欲しい」と思えるものが無かったんですね。ホ―ムセンターに売ってそうなポータブルのものとか30年前から全然変わってないような中途半端なデザインのものとか、音質を求めたら途端にラックマウントサイズの業務用みたいなものになったり。結局、もうこれだったら何買っても一緒だわ、と思い、一緒だと思った途端に物欲が失せて、そのまま買わず仕舞いでした。

で、クラウドファンディングのラジカセがもしかしたら、ちょっとは物欲をそそるものなのかなぁ、と思ったら、なんかあんまり新鮮味のないデザインだったので、うーん、こういうのだったら別に高い金出してまで……と気持ちは冷めました。21世紀のこのご時世に、あるべきラジカセのデザインというものが、多分今の世の中に無い気がするんですね。そういう意味では無茶振りというか無い物ねだりみたいな話なのかもしれないんですが、「未来を早送りで巻き戻す」なんていうわけの分かったような分からないことを言ってないで、ちゃんと「現在を早送りして未来を再生」するような、震えが来るようなデザインにしてほしかったと思いますよ。

まあデザインはともかく、WIREDに同プロジェクトの記事があり、そこで気になったのは、このプロジェクトを監修している、「「家電蒐集家」として知られ」ているという松崎順一の以下の言葉。

「ぼくたちがやりたいのは、いい音で聴こう、という追求ではありません。オーディオの文脈から切り離し、ライフスタイルとしてのものづくりをしたいのです」

これを読んで、あ、なんか同じようなこと言ってた人いたぞ、と9月26日発行の新聞記事を見直しました。

「しかしこれを我々は音響機器だと捉えていません。というと謎めきますが、あくまでインテリアアイコン、ファッションアイコンという位置づけで開発しました。意識したのはフォトジェニック(写真映りがいい)かどうか。だからデザイン性が必要になる」

で、そのレコードプレーヤー「SIBRECO」がこちら。

レコードプレーヤーSIBRECO

正直これも発表当時、Amadanaがレコードプレーヤーを、という記事タイトルを目にして、「さぞかし格好良かろう」と思い、ちょっとワクワクしてリンクに飛んだんですが、写真を見て「ふーん。まあAmadanaも案外普通の製品出してるしな」となってしまいました。別に渋いとも思わないし(シブレコってそういう意味ですよね)、そんなにフォトジェニックかなぁ。ION AUDIOのプレーヤーと大差無い気が。

この2社というか2機種というか2ジャンルというかお二方、いずれも「音質」については頓着していない、というかむしろ否定的とも捉えられかねない発言をされていますが、もしかしてこれは「ハイレゾに対する逆張り戦略」なんでしょうか。「音質についてはハイレゾ界隈の皆さんにお任せして、レコードやカセットは音よりも“聴く”という行為への喜びを重視するということで」みたいな。

そのわりにAmadanaは「如何に音が出るまでのアクションを少なくできるか」みたいな簡便さを売りにしていたり、「「ターンテーブル+アンプ+スピーカー」という構成はレコード本来の「上質な音の追求」を実現できます」とかよく分からないこと言ってたりして一貫性があまり感じられません。何をどう解釈したら「ターンテーブル+アンプ+スピーカー」の一体型機が「上質な音の追求」につながるのかも分からないし、「スマホで音楽を楽しむ文化が定着している皆さんにも」なんて言ってるのも、「スマホで音楽を楽しむ文化が定着している皆さん」は「ダサい」と言いたいのか、「いい音で聴いてない」と言いたいのか解釈に悩むところです。

まあ、レコードは明らかに流行の波が来ています。入門機からハイエンドまで、そしてヴァイナルからレコード針まで、かなり好調のようですから、このようなタイプの入門機が出てきてもおかしくないんだろうなと思います。でも、今のところ流行の波が来るかどうか未知数のカセットに関しては、本当にこれでいいのかな、と思います。

レコードが復活したのは、「実は死んでなかった」ということがあると思います。それは、数が減ってはいても盤がプレスされ続けていたことと、プレーヤーやカートリッジがその間進化し続けていたということで、息を吹き返した時に、その受け皿が異常に充実していて、しかも着実に進化していたわけです。進化はハイエンドを中心ではありますが、ハイエンドを手がけるメーカーがその技術をミドルエンド、ローエンド向けにも還元しているケースもあります。つまり、レコードの可能性は、停滞期の間にも広がっていたんですね。

方やカセットは、沈み方がレコードの比ではないこと、沈み始めてから今に至るまで、技術的な進歩が無く、最盛期のメーカーは次々と撤退していった状況だということです。実際、上記の試聴会では、アサヒステレオさんにカセットデッキを用意していただく際、最初「多分動くと思いますが、最近触ってないので」というような御返事でした。

ということは、「いい音で聴こう、という追求」ではない、と言わずとも、「オーディオの文脈から切り離し、ライフスタイルとしてのものづくりをしたい」と思わずとも、今の世の中に「カセットを良い音で聴くための環境」なんて、中古市場を漁らなきゃどこにも無いということです。

本当にこんなことでカセットブームは来るのでしょうか。別にカセットをハイファイにしないと流行らない、とは言いませんが、今レコードが流行ってるのはあのビニール製の円盤に潜在能力が秘められていて、そういう謎の部分、ミステリアスな部分をどこかに感じながら針を落としている側面があるんじゃないでしょうか。今のカセットにはそこが欠落していて、逆に言えば、カセットにもレコード同様に秘められた潜在能力ってあると思うんですね。今の技術なら、もっとその力を引き出せるのでは、と。そこに誰も手を付けないまま無闇にカセットブームだけ煽ってるのは、やっぱり片手落ちなんじゃないでしょうか。この辺りは、昔のようにレコード会社とオーディオメーカーが不可分な時代ではなくなったことの大きな弊害なのかも知れません。

なんかカセットテープそのものを愛でる傾向が強い感じがするので、シーブリーズのキャップ交換みたいな予測不能なブームは来るかもしれない、とは思わなくもないですが、ディテールや感触のようなものだけを掬い上げてると、そういう一過性のものだけで終わってしまう気がします。

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