この日は京都コンサートホール アンサンブルホールムラタで行われた京都市交響楽団の演奏会に行って来ました。アンサンブルホールムラタに行くのは初。
ホ―ルに入る前に、ホワイエに椅子が並べられ、ヴィオラ・セクションによるウェルカム演奏が10分ほど。後の公演に向けての告知がてらの演奏のようでしたが、弦の響きも濁っていてぱっとせず、単なるおまけ程度の感じでした。
ホ―ルに入ると、大ホ―ルと比べて遥かに小さいだけあって、かなり吸音が効いたデッドな音響。お客さんの出す音も近くに感じられるほどで、物理的な距離以上にステージが近く感じられました。
この日のプログラムは以下。
組曲「マ・メール・ロワ」(ラヴェル)
牧神の午後への前奏曲(ドビュッシー)
〜休憩〜
ジムノペディ 第1番、第3番(サティ)
バレエ組曲「プルチネルラ」(ストラヴィンスキー)
〜アンコール〜
組曲「クープランの墓」より 第4曲“リゴードン”(ラヴェル)
この日のお客さんは、いつもと比べると若い男女も少し目にするくらい。小ホ―ルなうえ満席でなかったことを考えれば、結構な割合ではないかと思います。
前半、夢うつつのようなテーマの曲が続き、うっすらまどろみかけながらも、20世紀前後の美しい楽曲群を、繊細に、丹念に再現する演奏に聴き入っていました。最低限の残響音しか感じない音響は楽団の配置やそれぞれの動きがリアルに伝わってくるような生々しさがあり、特にコントラバスや打楽器の低音がどしっと迫ってくる感じは大きなホ―ルとは随分違う印象でした。第1ヴァイオリンがややかすれて鳴っている感じがしましたが、この時は特に気にならず。
ジムノペディはドビュッシーの編曲版で、ドビュッシーの意図通り、ピアノ版の1番と3番を入れ替えた順番での演奏。この日の指揮者の大友直人も、何故ドビュッシーが1番と3番を入れ替えたのかは不明とMCで語っていましたが、ピアノ版で聴き慣れた耳で聴くと、3番から始まるだけで急激に新鮮度が増し、全く新しい音楽を聴くような緊張感を抱いていると、ひと呼吸置いて1番のお馴染みの出だしに繋がる流れは非常にドラマティックに感じました。ドビュッシーはサティの音楽を表舞台に引っ張り上げるために編曲したということらしいので、そんな意図は無かったのかも知れませんが。
ここまで、非常に密度の高い内容に満足し切っていたんですが、本編最後の「プルチネルラ」になると、幕開けから弦の音が濁って聴こえてしまい、急に夢から覚めたような気分に。ここに至るまでヴァイオリンが速いテンポで一斉に合奏するパートが目立つような曲があまり無かったので目立たなかったようですが、懸念していた第1ヴァイオリンのかすれは再び表面化してきました。各所でスリリングな演奏が現れる聴きどころ満載の組曲も、全体に締まりの甘い印象になってしまいました。加えて、それまで適度に響いていた低域が若干ブーミーに感じてくるところもあり、もしかすると他のレパートリーと楽曲の作りに差があるのが原因なのかな、とも思いました。
ともあれ、20世紀前後の、現代音楽と交差するような作曲家たちの演目をこれだけ続けざまに聴けたのは、とても楽しかったです。
ジムノペディ〜サティ作品集 | |
佐渡 裕
ワーナーミュージック・ジャパン 2011-07-19 |