彼の音楽のファンとしての僕の目に映った、今日までの三宅洋平

今から遡ること8年前。

「FESTA de RAMA」というフェスが、広島の海水浴場そばの会場で開催されました。8月6日、7日の二日開催で、テーマとしてはやはり原爆投下の日であることも含まれていたと思います。土日開催という縛りから、徐々に8月6日から離れていき、最初の年に赤犬が原爆をおちょくったようなMCをして顰蹙を買ったり、こだま和文が出番直前まで降っていた雨を「黒い雨じゃなくて良かったね」と言っていたようなイメージはすっかり無くなっていました。

この時の僕はKODAMA AND THE DUB STATION BANDが目当てだった気がしますが、他にもソカバンやEGO-WRAPPIN’はじめ豪華なメンツが揃っていたので、8月6日だけでも遊びに行こう、とチケットと宿を確保しました。

「FESTA de RAMA at 瀬戸田町サンセットビーチ(Hiroshima)」

まだ聴いたことの無いバンドも予習もしておこう……と、ラインナップを見ながら購入するアルバムを検討していたと思うんですが、どこかで勘違いしてしまい、僕が観に行かない二日目のバンドのCDを買ってしまいました。

僕が観に行った日に出演したバンド・赤犬と間違えて買ってしまったのは、犬式というバンドのCDでした。

しかしながらアルバム「Life Is Beatful」は、僕を完膚なきまでにノックアウトしました。レゲエをベースとしながら、カテゴライズを吹き飛ばすような楽曲、アレンジ、そして粘り着くように眼前に迫りくる、三宅洋平の強烈な歌声。なんて格好いいんだろう。

この日のRAMAはどのアクトも素晴らしく、上半身裸+短パンのソカバンがラストに歌った“サマーソルジャー”は胸を締め付けられるようでしたし、EGO-WRAPPIN’が“A Love Song”でお客さんに向かって「My Sweet Baby」と語りかけるように歌った瞬間は、彼らのライブを観てきた中でもこれ以上無いというほどの、魔法にかかったかと思えるほど感動的な瞬間でした。

しかし僕が観たRAMAに犬式は当然登場せず、HIFANAのステージに三宅洋平がちらっとゲスト出演するに留まっていました。犬式の楽曲に心を鷲掴みにされた僕は、しかし幸運にも8月のうちに京都の小さなライブハウスで彼らの勇姿を初めて目にすることが出来ました。

「エレキ大浴場 at MOJO (Kyoto)」

「Life Is Beatful」の冒頭が刺激的なウォルト・ホイットマンのポエトリー・リーディングから始まるところや、独自の反体制的ステイトメントが膨大な言葉数で押し込められた歌詞からも感じられた「言葉による主張の強さ」は、ライブでは更に拍車がかかり、三宅洋平はステージで、喋る、喋る、喋る。

よく通る声、澱みなく次々と繰り出される言葉、堅苦しくない砕けた口調、ユーモアセンス……そのすべてが魅力的で、政治的な主張も含めてこれだけ喋り倒し、しかも歌や音楽と分離せず、ひたすらかっこ良い人というのは、初めて観たように思います。

その翌年、RAMAの舞台でトリを務めた犬式に僕は熱狂し(当時ネットで配信されていた当日の映像では、最前列で大口開いて吠えている僕が映っていました)、代表曲「ヴィレッジバンガード讃歌」に乗せて語る彼のMCが大勢の観衆を見事に掌握している姿を見て、彼ならそこがカフェだろうがアリーナクラスの大群衆だろうが、マイクとギターさえあれば会場をひとつにしてしまえると確信しました。

「FESTA de RAMA at 瀬戸田町サンセットビーチ(Hiroshima)」

確かこの日のステージで彼は、登場するや否や「美しいと思ったものを美しいと言って何が悪いんだ」と、ある種の「日の丸賛美」をしていて、彼は保守的な思想なのか、と思った記憶があります。

その後、犬式のライブには二回行きましたが、一度目は、メンバーの不祥事(cro-magnonと同じだった気がします)により活動休止していた後での大阪ロングセット。長過ぎて終電までに終わらず、会場で先売りしていた新譜「Diego Express」を手に途中退場しました。

犬式 at Shangri-La (Osaka)

しかし二度目はゲスト無しの完全ワンマン、四時間にわたる更なる長丁場で、出だしこそクールに淡々と進めていたものの、マイクを握ってからの三宅洋平はひたすら歌い、喋り、語りまくり、最後の曲では明らかに声が枯れているほどでした。

犬式 at Shangri-La (Osaka)

アフロビートやジャムバンドの手法を貪欲に取り込み、サンタナの「キャラバンサライ」を彷彿とさせるコンセプトアルバム「意識の新大陸 FLRESH」を最後に、犬式は活動休止へ。前作のやや煮え切らない完成度から一転、彼らの新境地を見せながらも実験に終わらないクオリティの高さが感動的ですらある傑作を生み出しながらも活動に区切りをつけてしまったことは、未だに残念でなりません。

彼がTwitter上で反原発の立場で推進派とバチバチやっていたのを目にしたのはその頃だったか、ニカさんの祝島ライブの動画が話題になる前後だったか、いずれにしても3.11前のことでした。

3.11以前の日本は今とは比較にならないほど(それでも今ですら“無関心”の部類だと思いますが)原発に対して全く警戒心がなく、彼は安全神話にあぐらをかいた多くの推進派と丁々発止やりあっていましたが、ミュージシャンがこの手の話に踏み込むこと自体SOUL FLOWER UNIONや坂本龍一のようなごく一部のミュージシャンを別にすれば非常に珍しかったこともあり、彼のファンとしてはとても嬉しかった記憶があります。

活動休止後、ソロシンガーとして弾き語りのライブを始めますが、彼らしい語り口は健在なものの、バンド無しで犬式時代の曲を歌う彼はやや物足りなくも感じました。
「「pyung-pyung日和」 at 磔磔 (Kyoto)」

この間リリースされた「Music Journey episode-1」は、「水の結晶に言葉をかけると云々」という今や偽科学として周知されたように思う話をMCで引用している部分も含め(選挙期間中、彼はホメオパシーに接近する瞬間がありました)、今に至る彼の姿を予見する作品とも言えるでしょう。

パフォーマンスの素晴らしさとは別に彼の音楽制作自体は停滞をしていたように見えましたが、その後、(仮)ALBATRUSというパーマネントバンドを結成し、それが熟成期間だと知らされることになります。その後の3.11が、直後の沖縄への移住も含め、バンドの最初のアルバムに色濃く反映されました。

三宅洋平が立候補する、という情報を目にした時に、まさか予想もしてはいませんでしたが意外さが全くなかったのは、同作収録曲「1/470 Party People」を聴いていたからかも知れません。マイク越しに「全部お前の話なんだ」と語気荒く叩き付けてくる様は、彼のキャリアの中でも最も感情的で切迫していて、現状に対しての予断の無さに焦りと怒りを感じさせるものでした。

「なんだって、新鮮で手つかずの野生の生が一番ヤヴァイんだ(1/470 Party People/(仮)ALBATRUS)」

彼のこの詞を事前に目(耳)にしているかどうかで、彼が選挙活動中に何を言わんとしていたのかの理解は大きく違ってくるかも知れません。彼が選挙戦で語っていたことは、自身を選挙モードにシフトチェンジして組み直したものではなく、原発以降、ずっと考え続け、蓄積されてきた「日常」がそのまま発露していたもので、それが他の候補者の選挙活動での耳障りの良い美辞麗句をただ並べただけの言葉とは説得力が違っていたからこそ、多くの人たちの心を引きつけたのだと思います。写真に写る彼の表情が、僕の知っている「ミュージシャン・三宅洋平」と違わず、政治活動をも「日常」の延長線上であることを身を以て示しているとも言えるのではないでしょうか。

三宅洋平 選挙フェス PHOTOS

同曲が出だしで歌われるファウンディングパーティの映像を観て、正直理想ばかりで、理想を実現するための具体的なアイデアを提示してほしいとは思いましたが、彼の言葉の強さ、観衆を引き込む力は遺憾なく発揮されており、観終わった頃には彼に少なからず期待をせずにはいられませんでした。とは言え、ノーマークの彼があそこまで躍進し、全国各地で多くの人を巻き込み、参院選をここまで引っかき回すほどの存在感を示すとは予想していませんでした。

選挙活動を続ける中、彼への批判も増え始めました。それも、保守系の人ではなく、反原発で、音楽にも関わりのある人から。おそらく「反原発で、音楽にも関わりのある人」以外の人たちからは、最後までほぼノーマークのままだったでしょうから、当然と言えば当然。彼にとってそれは辛い重荷となっていたかも知れませんが、結局それらの批判が、この参院選の中での彼のポジション・役割を明確にする役目を果たしていました。

彼は「みんなで話し合いをするんだ」と語っていましたが、決して全方位にアピールしているわけではなく、彼が出て来なければ選挙に行かなかった人(これまで行ったことが無い人、これまで行ったことがあっても今回は棄権しようかと思っていた人)が彼の「フェス」をきっかけに動いてくれることを望んでいて、結果的にそれは一定の成果として投票結果に表れていたと思います。

極論、彼は立候補する必要すら無く、山本太郎なり共産党の候補者なりを応援する立場でも良かったかも知れませんが、彼が立候補し、彼が選挙戦を他人事ではない「自分事」としてくぐり抜ける様を隠し立てなく示し、「票が分散するから立候補するな」「音楽を政治の道具に使うな」と反発されることで、硬直した選挙制度の中でトリックスターとして活躍し、既成概念に揺さぶりをかけることが個々人の思考を深める役割を果たしていたのではないでしょうか。

選挙の前日、寺町にある民族楽器店のガラス窓に、彼の選挙ポスターが貼ってあるのを見ました。彼のポスターが貼ってあるのを初めて見ましたが、それが普段選挙ポスターを貼るようなことはしなさそうな楽器屋であったことは、「ミュージシャン=楽器屋」ということだけに留まらない、彼に揺さぶり、掻き回された人が少なからずいたということが透けて見えてくるような現象だったのだ、と、後になってそんな気がします。一緒にいた妻が「いい顔してるね」と(「ますますイチローみたいになってきた」と言った後で)言っていましたが、それが身内贔屓みたいな感覚でそう見えたのかどうかは、今もよく分かりません。ネットで選挙に関する情報サイトを見ていて、比例区の一覧ページに他の候補者と混じって並ぶ彼の、若く、しかも眉間から顎まで髭に覆われた写真から、反発はしないが同化もしないという意思を感じた気もしますが、それも思い込みでないとは言い切れません。

選挙当日。

投票所までの2、3分ほどの道すがら、若い人と会うことはありませんでした。僕の前に並んでいた男性は投票所の若いスタッフに覇気のある声で「大正12年」と生年月日を言っていました。本人確認のための発言ですが、男性はスタッフが名簿から名前と生年月日の情報を見つける前に言ってしまい、「あ、ちょっと待って下さいね」と苦笑されていました。日本国憲法も公職選挙法も無い頃から日本を支えてきた人の声に、彼と同じように背筋が伸びる思いをしながら、そんな彼が今、どんな覚悟や思いを持って、誰に、どの党に入れたのかが今も気になります。

投票は、いつもながらあっけなく終わり、あまりのあっけなさと物足りなさに少し後ろ髪を引かれる思いをしながら投票所の立て看板に目をやりましたが、投票所で僕にできることはもう何もありません。

最終的に、僕は三宅洋平には投票しませんでした。今、共産党が追い風だったこと、これまで何度も共産党に入れては死に票に終わっていたこと、追い風とは言えやや疑ってかかっていたことなどあり、選挙区と共に比例区は共産党議員に入れました。

結果、どちらも僕の入れた議員が当選するという結果になったことを翌日の朝刊で知り(開票当日は8時には4歳の娘と寝室に入っていました。娘が寝静まった頃にiPhoneでチェックしようと思っていたんですが、この日に限って娘はなかなか寝つかず、結局僕の方が娘より先に寝入ってしまいました)、投票数の減少、自民圧勝という最悪な結果の中でもいつもと比べるとそう悪い気はしていませんでした。

しかし、僕は三宅洋平を応援してはいましたし、僕のような投票数に現れない数字以上の彼の支持者を沢山生み出したこともまた確かな成果だと思います。投票数が減少した中、彼が「選挙フェス」を通して掘り起こした「無関心層」が減少幅に歯止めをかけたでしょうし、その歯止めをかけた有権者たちが、全体的に水位の下がった「票を投じる有権者」の中で影響力、重みを強めていて、その人たちが三宅洋平のメッセージに心動かされて立ち上がった人だということを思うだけで、僕は未来への希望を感じずにはいられませんでした。

彼は次の選挙にも立候補すると宣言していましたが、メディアにも取り上げられ、立候補前と比べ遥かに多くの人から注目を浴び、その名が知れ渡ったこれからの彼の「音楽活動」がどんなものになるのか。いち音楽ファンで、彼の音楽に少なからぬ衝撃を受けた者としては、それが今最も気になるところです。

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