IKITSUGI / SHOS / HOP KEN 合同企画 at 旧グッゲンハイム邸 (Hyogo)

この日は旧グッゲンハイム邸で行われた「IKITSUGI / SHOS / HOP KEN 合同企画」に行ってきました。

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踏切の前まで来ると、ちょうどダダリズムの演奏が始まったところらしく、打楽器の音が聞こえてきました。

シンプルなドラムセットに二人向かい合わせになって座り、絶妙に絡み合いながらポリリズムを形成し続ける演奏は、アフリカ音楽のフィーリングを生み出しながらも、プリミティブに肉体のなすままにリズムを構築するわけではなく、緻密に計算し、全身をコントロールし尽くして組み上げる頭脳ゲーム。素材がシンプルなだけに、ポリリズムの面白さが際立っているし、その組み合わせのバリエーションだけで無数のパターンが生み出せることを身を以て証明しているような、ワクワクするような刺激に満ちたパフォーマンスでした。

井上智恵トリオ+泊は、やはりあの歌声の魅力に尽きる、という感じ。よく、普段ドラムレスのシンプルなセットで演奏してるユニットが「○○バンド」などと名乗ってドラムセットなどを導入すると音のバランスがうまく取れずにボーカルが引っ込んでしまっている……という現象を見かけますが、この編成ではあくまでも歌が最前面に押し出されていて、泊としての魅力を損なうことはなく、見事に音の鮮やかさを増して響き渡っていました。これは、PAによるものなのかバンドの演奏によるものなのか、はたまたあの声によるものなのか……。あと、後半でのジャジーなリズムセクションにはワクワクさせられました。

井上智恵トリオ+泊が終わると、PA宅の前にいた西川文章氏が自らギターを抱え、かきつばたの演奏へ。以前観た時はもっと叙情的なバンドだった印象でしたが、この日はオープニングからアップテンポでダンサンブルな演奏から始まっていました。前は子連れで観ていたので、この日ようやくじっくりと観ることが出来ました。あとはアルバムの完成を楽しみに……といったところですかね。

この後の転換時に稲田氏がメンバーと話していましたが、この二日間の転換中、BGMは一切無し。懸命な判断だったと思います。

DODDODOバンドは梅田哲也不在のため、半野田拓を迎えての演奏でしたが、音としてはこちらの方がバンドにマッチしているように感じました。

最後に和田シンジ作詞の脱臼ナンバーで笑いも取りながら終了。どんどんバンドとしての面白さが増してきてますね。

森靖弘+中林キララ+森雄大は、三人それぞれがギターとラップトップを操作しての演奏という意外なセットでした。フォーマルな衣装にフライングVを抱えたキララ氏は途中ピアノも演奏。キララさん、格好良過ぎます。ただ音楽的にはちょっとイージーな気も。

パーパは初見でしたが、稲田誠の歌とベースにピアノとサックスがジャズ的即興演奏で絡むスリリングな演奏で、一曲目は稲田以外は初めて聴く新曲、最後の曲も事前に他のメンバーに説明の無かった、清志郎が歌っていたという曲のカバー(音遊びの会の永井くんがドラムで参加)も、種明かしをしなければ分からないほどの素晴らしいアンサンブル。稲田氏も、水を得た魚の如く、火を噴くような勢いで歌いまくりの弾きまくりでしたが、ここまで優秀なバンドだったら演奏するのも楽しくて仕方ないのでは。

オオルタイチ+ウタモは、この日の濃いメンツの中ではやや薄味な印象。ラップトップでリズムを走らせての演奏も何となく空々しく感じてしまいました。そして、ウリチパンの頃からずっと気になっていましたが、ウタモの声は弱すぎるので、バックコーラスには良くてもメインボーカルにはやっぱり向いてないんじゃないですかね。

白い汽笛+mmmは、この日のハイライトのひとつと言えるでしょう。陽が落ちて冷気とヒーターの温もりが混ざり合う中で穏やかに流れるサウンドは、空気と溶け合いながら全身に沁み渡っていくよう。mmm、白い汽笛のレパートリーを交互に演奏していましたが、その境目さえも溶け合い、この日の祭の喜びを静かに歌い上げるような多幸感に溢れた共演でした。

田尻麻里子による映画の上映は外で、庭の壁に映像を映して行っていました。日常を映した何気ない映像に重ねて語られる、阪神大震災の話。そうだ、ここは神戸だったんだ……と、思わず眼前の旧グを見上げてしまいました。

映像の後、昨年の震災の被災地の写真をスライドショーで見せながらナレーションをその場で加えていました。時折涙声になり、言葉を詰まらせながら語られる痛ましいレポートと、写真に捉えられた生活を跡形もなく根こそぎ奪い去られた現場の様子に愕然とさせられる中、屋内では拍手と共にyumboの演奏がスタート。僕にはその時漏れ聞こえてきた音楽が鎮魂歌のように聴こえましたが、外で写真を見ながら聴いていた人の殆どは、同じように感じていたのではないでしょうか。

そして、yumbo。曲の中に漂うただならぬ緊迫感に身を強張らせていると、響いてくる力強くも丸くて温もりのあるドラムのアタック。そして、突如切り込んで来る軽快なバンジョー、そして稲光のようなギターソロ。演奏自体には揺らぎがありながら、揺るぎない凛とした空気感と色彩豊かなサウンドを生み出していました。

曲間に入るMCでは、曲の解説をしていましたが、「自分が7歳の時に蒸発した父が最後に寿司を食べさせてくれたことを歌った曲」だとか「家に入ってくる顔が膿だらけの猫のことを歌った曲」だとか、無闇にブルーにさせる話ばかりしておいて、曲自体が始まると本当にその話と関係があるのかよく分かりません。観る者の心に、何か引っかき傷を残したい、違和感を焼き付けたいという意図なのだとしたら、それは成功しているでしょうし、yumboの音楽も言わばそういったものなのかも知れません。

最後の山本精一は、「僕の演奏はアウトロやと思って下さい。今の(yumboの演奏)で終わりで良かったのに。すごい良かったやんな。僕はそう思うけどな。僕は家が京都なんで早く帰らないといけないし、短めにやって終わります」などと、いつもの感じでMCをした後、エレキギターの弾き語りでたっぷりと演奏。ざらついたノイジーなギターに、あの暖かく丸い声が乗り、歌われる曲たち。本人がアウトロと言っていましたが、今日の全ての演奏を清算するようなリアリティを持った、真っ直ぐで日常を喚起するようなパフォーマンスでした。

終演は、押しに押して23時直前。帰宅した時には、3月11日。そして半日後、再び同じ舞台へと向かいます

唄声の港
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