「ヒアリングの名手」刑事コロンボから学ぶクライアントへのヒアリングの極意

2021年7月7日のWEB担当者フォーラムに、こんな記事がありました。

企業サイトの制作、依頼の際に重視するのは「費用」「ヒアリング力」「実績」【FMC調べ】

WEBサイト制作にあたって、費用の提示やサイト設計に不満を覚えるというのは、実際にクライアントと相対していても、なかなか理解していただける説明をするのが難しい点ですが、これら目に見えて不満があることの伝わってくる要素よりも、「ヒアリング」という、あまり可視化されず、やや曖昧になりがちなことに対しても、実は不満があったことが明確になったような調査データです。しかしこのヒアリング、WEBサイト制作にかかわらず、広告、デザイン、販促物などなど、マーケティング全般において重要でありながら、重要性ほどには省みられていないような気がします。額面通りの「ヒアリング項目リスト」のようなものはありますが、その基本すら抑えられず(自戒の念を込めて書いてます)、各クライアントの中に潜在している魅力や優位性を引き出すために必要な質問、クライアント自信に気づきを与えられる質問が、どれだけできているのでしょうか。

改めてヒアリングの大切さを考えさせられるとともに、これから我々がクライアントと相対した時に、どのような手段で適切なヒアリングをしていくべきか。そんな時脳裏によぎったのは、「刑事コロンボ」でした。

ドラマ冒頭で起こる殺人事件。その犯人や殺人の手口が視聴者に伝えられた後にコロンボが登場し、犯人への質問攻めによって完全犯罪のトリックを暴いていく、「警部補・古畑任三郎」の元ネタとしても有名なテレビシリーズです。今回は、「ヒアリング上手のコロンボ警部」を、クライアントへのヒアリングという視点から解釈してみたいと思います。

刑事コロンボという作品の特徴
この作品に登場する犯人は、毎回地位も名誉もあるセレブリティばかりです。そんな、一見何不自由なく生活しているような人々が、うちに抱える不安や過剰な欲望によって他人の命に手をかけてしまいます。完全犯罪とすべく証拠を隠し、無関係を装う彼らを迎え撃つのが、くたびれた風貌にとぼけた口調の中年刑事・コロンボです。物語は、そんなコロンボがステータスのある人物の懐に「下から目線」でちゃっかり入り込み、最後には見事やり込めてしまう、というのが基本フォーマットになっています。

この作品の面白さは、アクションシーンなどをほとんど盛り込まず、捜査のシーンも犯人相手に聞き取りをするシーンが中心になっていて、画面上は非常にシンプルな会話劇として作られています(元が舞台劇だったからでしょう。舞台出身の三谷幸喜が「古畑任三郎」を作ったのもうなずけます)。この会話の緊張感で90分前後の1話完結のドラマを引っ張っていく巧みさは、第1作放映から半世紀以上が過ぎた今も色あせていません。

作品内でコロンボは、犯人の元に何度も現れ、微に入り細に入りしつこく質問をぶつけます。そして質問を終えて立ち去り側に振り返りざまに繰り出す「あと1つだけ聞いていいですか?(one more thing)」というダメ出しの質問。犯人は自分のが犯人だと悟られないように表面上好意的に質問に答えているものの、内心苛立っていることが答え方や顔から滲み出していることが、犯人目線で物語を見ている視聴者には伝わってきます。ですから視聴者としては、コロンボに気づいて欲しい反面、犯行がバレてしまうことの怖さにもドキドキしてしまいます。

ヒアリングのコツ:相手の気持ちを考える
コロンボはまず、犯人の懐に入り込むために、セレブな犯人に対しての憧れを示し、自分の等身大の姿を開けっ広げにします。決して虚勢を張ったり知ったかぶりをすることはありません。自分には地位も名誉もなければ、家族のこと以外話すことがないほど交友関係も話題も乏しいつまらない人間なんです、とアピールします。メモするためのペンも葉巻の火も必ず人から借りるのも、そんな彼のしょぼくれアピールです。しかし彼は、相手を遠い存在とは考えていません。犯人の別荘に訪れては「私もこの辺りに借りたい」などと身の程知らずなことを口走ってみたり、いかにも立派なライターを遠慮なく借りてみたり、格差を示す一方で「同化」をも狙っているのです。それが彼の、相手の自尊心を傷つけないように注意を払いながらも、犯人の心理を掴み、犯罪の動機や証拠の隠蔽方法を洞察するために生み出した常勝のメソッドです。この押し引きがバランスした先にいるからこそ彼は、相手の微細な行動に違和感を見出し、その積み重ねによって、事件解決の糸口を掴むことができるのです。

翻って我々がクライアントにヒアリングする時、自意識や虚栄心が邪魔してしまい、相手の姿がぼやけて見えていることはないでしょうか。逆に、自分を小さく見積り過ぎて、もっと深く入り込むべきところが、遠慮が邪魔して浅くなってはいないでしょうか。心をオープンにして耳を傾け、相手の気持ちを理解するためには必要十分に距離の縮め方を意識しなければいけないでしょう。

ヒアリングのコツ:勘を働かせる
多くの場合コロンボは、ドラマ内に登場し、表面上は被害者とは無関係か、もしくは近親者なので自分も被害者だ、というようなたたずまいの犯人と挨拶を交わした時に、すでに彼(彼女)が犯人だと薄々気づいています。ドラマ内ではそれを「鼻が利く」と表現していて、いかにもドラマ上のご都合主義のように思えるかもしれませんが、マーケティング目線で見ると、実は重要なポイントでもあります。ある案件に対して、情報を集め、ゼロから積み上げて結論までたどりつく場合もありますが、その過程で、一気に結論まで飛躍して、逆算するように結論までの論理を積み上げて結びつける場合もあります。この飛躍を、コロンボは「勘」という言葉を使って、出会った直後から結論に辿り着いています。しかし、コロンボは自分の勘は信じても、無闇に勘を当てにしていません。いわば勘を目印にして、その間を埋めるべくヒアリングを重ねているのです。これは、先を想定せず盲滅法にヒアリングをするのではなく、ある程度の仮説をもとに、必要な質問を的確に重ねるべきだということを示していると読めるでしょう。


クライアントも、私たちに無駄な時間を使う余裕はないはずです。「情報(infomation)」→「知識(knowledge)」→「知恵(wisdom)」という段階を登っていくことで最終的な提案にたどり着くのだとすると、先にどのような知恵を得るためにどのような知識が必要で、それを得るための情報は何か、という想定をしておくべきだということになるでしょうか。

ヒアリングのコツ:細かなことでも遠慮なく訊く
コロンボは、90分弱のドラマの中で、3〜4回は犯人の元へ足を運び、その度に2〜3(+one more thing)の質問をぶつけています。時に「それが事件と何の関係が?」と思えることも、質問を重ねることで点が線になっていき、犯人に繋がる線が網の目のように埋まっていくのです。そのためには質問の精度を高めなければいけません。コロンボも女房の話やいとこの話を挟んで無駄話をしているように見せかけて、実は質問の振りになっていたり、たくさん質問を浴びせている割には、無駄打ちをしていません。ドラマなのだから当たり前と言えばそうですが、ドラマの当たり前を、現実に応用していけないことはないでしょう。決してクライアントを追い詰めるような質問の仕方や行き過ぎた質問はしないように注意しなくてはいけませんが(僕はそれで過去に注意されたことがあります)、余計な気を遣って質問を絞るのが大事か、結論にたどり着くために必要な質問を全て投げ切る方が大事かは、よく考えなければいけないでしょう。


ヒアリングのコツ:質問の準備は入念に
コロンボは、質問内容を(one more thingも含めて)ある程度事前に用意しています。その割合は、犯人への質問を重ねるごとに高まって行きます。徐々に、質問だけでなく、その回答の想定も済ませた状態で実際の質問に挑むよう変化していくのです。最初は場当たり的な質問をしているようなケースも多いのですが、最後には、自分の仮説を補完すると思える質問に絞られています。これによって視聴者は、コロンボの推理がだんだんと核心に迫って行き、焦点が絞られていくのが分かりますが、これは彼が犯人と相対していない間の、周辺調査を行っている時間があればこそです。この期間こそが、実は彼の仕事の本質で、テレビに映っていない間(たまには映っていますが)に行っている情報収集や推理が、犯人像の輪郭を詳細に描いて行き、テレビに映っている犯人との会話シーンは、その結果浮かび上がった犯人像と齟齬がないか、答え合わせをしているような状況であり、このプロセスを繰り返しながら焦点を絞っていった結果、パズルの最後のピースを埋めるためにたどり着いた先で掴み取ったひとつの「アイデア」が、犯人特定を決定的にするのです。

ヒアリングにおいて重要なのも、事前の準備がどれだけできているか。いかに必要な結論に向かうための絞り込みができるか。しかしそれだけでは、クライアントの求める答えには辿り着きません。最後には必ず、「アイデア」が必要になるのです。

ヒアリングのコツ:クライアントが知りたい「自分のこと」を見つける
コロンボの質問は、犯人の本音を引き出すためにあります。彼の質問が犯人の痛いところを突くのは、犯人にとっては想定外の質問で、そこに自分も自覚していなかった本音が出ていることを気づかせるからです。犯人の顔がこわばり、杜撰な答えを返してしまう時、コロンボは自身の仮説を更に確たるものにしているのです。

コロンボの場合は犯人が本音を取り繕う様子を見て確信を得て行きますが、我々がクライアントに対して質問する場合は、本音を話してもらうためにはどのような質問を投げるべきかを考えなければならないでしょう。それは、自分だけが知りたいことではなく、クライアント自身も知りたいことです。人は自分の本音を、訊かれるまで、そして答えるまで、自身の中に潜在したまま自覚していないことがままあるのです。

最終的には「喜んでもらう」
「激突!」でその名が知られることになるスティーブン・スピルバーグは、その直前にコロンボの撮影を行っています。1971年制作の第3話、正式なテレビシリーズとして制作されたものとしては最初の作品「構想の死角(Murder by the Book)」がそれです。

アメリカのある人気推理小説家コンビ・ジムとケン。二人は、ジムが実際に作品を作り、ケンは広報の役割を担っていますが、表向きは「共作」として知られています。ある日ジムがソロとして活動したいとコンビ解消を持ち出します。ジムなしでは何もできないケンは、彼の命を奪って保険金を手に入れようとします。物語の最後、彼が行った完全犯罪のあらすじは、ジムが生前メモ書きで構想していた新作のためのあらすじと全く同じだったため、コロンボはそれをケンにつきつけ、自白を迫ります。ケンはその時、取り乱すのではなく、また唖然とするのでもなく、実に晴々とした笑顔で「うまいトリックだったろ」と答えるのです。実はジムがメモしていたトリックは、元々ケンが思いついたアイデアで、彼にとっての唯一見事なアイデアを、ジムは密かにメモに残していたというわけだったのです。ケンの笑顔の理由は、彼のトリックが見破られた絶望感よりも、「見破ってくれた」ことへの嬉しさが優っていたからではないでしょうか。ちょうどなぞなぞを出した子供が、相手が答えられずにやり込めても嬉しいけど、仕掛けに気付いて答えてくれたらそれもまた嬉しい、ということと似ているかもしれません。

クライアントも、自分たちの考えていること、思っていることを見事に捉えた提案をしてくれたら、「よくそこまで我々のことを理解してくれたね」と、ケンのような満面の笑みを浮かべてくれるのではないでしょうか。

以上、どれもこじつけかもしれません。でも、こじつけでもハッタリでも、次のオリエンの際に使えるのなら、それでもいいですよね。刑事コロンボから何を読み取るのかは、視聴者次第ですから。

ただし、本作は犯人をクライアントと見立てている以上、そのまま応用してしまうとろくなことにならないのは火を見るより明らかです。時にはコロンボの行き過ぎた発言を反面教師にして、取り扱いには十分お気をつけください。

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