音楽を変えたオーディオと録音の歴史④ 終章/エジソンの子孫たち

CDの誕生、そして新たな関係性が生まれ続ける現在

日本でスメタナ四重奏団のデジタル録音が行われた翌年の1973年、アメリカではクール・ハークがTechnics SL-1100を駆使してブレイクビーツを生み出し、ジャマイカではアップセッターズ「Blackboard Jungle Dub」をはじめ、ダブのLPが複数リリースされました。ダブ(またはダブワイズ)の起源はこれより数年遡り、録音エンジニアのキング・タビーが、B面のいわゆる「カラオケ・バージョン」において、音響上で実験的な加工を行っていたことと言われていますが、ベースを極端に大きくしたり、ディレイのようなエフェクトを過剰にかけるなどにとどまらず、全く別の歌を乗せたり曲中でフェーダーをいじって突然音を切ってしまうなど、ルールや制約を逸脱したダブの自由自在な発想は、後のダンスカルチャーに大きな影響を与えるとともに、エンジニアという存在をアーティストとして強く認知させることにもなりました。そう、キング・タビー名義の作品はあっても、ルディ・ヴァン・ゲルダー名義の作品はありません。なぜなら、それまでの録音エンジニアと違い、ダブエンジニアにとって、磁気テープとマルチトラックレコーダーは紛うことなき“楽器”だったからです。

スクラッチ誕生と同じ1977年、太陽系外の惑星を探査するための2機の無人惑星探査機・ボイジャーが、地球の写真やイラスト、音楽を含む様々な音声を収録した銅板製のレコード、通称「ボイジャーのゴールデンレコード」を携え、アメリカ航空宇宙局(NASA)から打ち上げられました。レコードのカバーには、記号的なイラストでレコード再生の方法が描かれており、レコードの信号記録の方法が、原始的かつ普遍的なものであることを再認識させられるエピソードです。

この1970年代後半は、オーディオブームがピークを過ぎつつも、レコードの方は、各社が高音質化にしのぎを削っていた時代でもありました。そんな中、80年代に入ると、ビリー・ジョエル「ニューヨーク52番街」が世界初の商業音楽CDとして1982年にリリースされます。CDDA(Conmpact Disc Digital Audio)は、SONYと、レーザーディスクの技術を持っていたPhilipsが共同開発し、レコードよりもコンパクトで、レコードのような物理的なノイズが発生しない(先に記したPCM方式なので)高音質なメディアとして売り出されました。しかし高音質であるかどうかよりも、音楽にとって重要だったことは収録時間の延長でした。約74分という収録時間(後に約80分まで延長)は多くの交響曲を切れ目なく再生させることが一つの指標であったとされていますが、この「切れ目なく1時間以上収録できる」というフォーマットは、アルバムの長時間化を促しました。多くのアーティストは広く巨大なキャンバスにクリエイティビティを刺激され、さらにはA/B面の間で寸断されるストレスからも開放されることで、この後さまざまな大作を生み出すことになります。

この後もなおレコードはリリースされ続けていましたが、徐々に存在感を失い、これ以降音楽ソフトは急速にCDへと置き換わっていきました。80年代中盤にはアナログレコード、カセットテープと並行してリリースされていたタイトルも、90年代にはほぼCD一本に絞られます。さらに、過去にアナログレコードで販売されていたものも、デジタル化してCDで販売されるようになり、それら古い作品が安価で販売されることが多かったこともあり、リアルタイムで制作されている音楽だけでなく、時代を超えて、過去数十年にわたる録音アーカイブに触れることすらも非常に手軽になったのです。

前述の通り戦中からレコードの制作に熱心だったカラヤンは、CDの制作にも並々ならぬ情熱を傾けましたが、過去の録音が最新録音と横並びに評価されることによって、彼にとっては不都合な事態をも生み出してしまいました。

カラヤンは、自分自身の過去の録音と、フルトヴェングラーの録音を共に葬り、その上で自分の新録音だけの王国が築かれるのを夢想した。だが、カラヤンの期待は裏切られた。ごくわずかのフルトヴェングラーの映像は、その希少性ゆえに大事にされ、もてはやされた。CD時代がくると、夥しい数のフルトヴェングラーの録音がCDとして市場に出回るようになった。デジタル技術は、フルトヴェングラーの過去の傷だらけの録音を、新鮮なものに蘇らせるという副産物も生んだ。カラヤンにとって新技術はそんなことのために使用されるはずではなかった。カラヤンはフルトヴェングラーに対する勝利を確信できないまま、一九八九年に亡くなる。
「カラヤンとフルトヴェングラー」(中川右介著/幻冬舎 2007年)

1983年、ジャズ・ミュージシャンであり、当時はアコースティック・ジャズとファンクを並行して制作/パフォーマンスしていたハービー・ハンコックが、ビル・ラズウェルのプロデュースのもと制作した“Rockit”が世界的に大ヒットしました。それまでにもヒップホップのレコードでDJの技芸は披露されていましたが、GrandMixer DXTによるスクラッチが大胆にフィーチュアされたこの曲は、レコードやラジオだけではなく、ゴドレイ&クレームによるミュージック・ビデオ、翌年のグラミーでのパフォーマンスなどを通して広く知られることとなり、後の“ターンテーブリスト”と呼ばれるDJたちに多大な影響を与えるとともに、世間一般の「DJ」の認識は、おそらくここで決定づけられたと思われます。そして、GrandMixer DXTの“演奏”が収録されるという「レコードの音がレコードの盤面に刻まれる」現象は誰もが耳にするものとなり、レコードプレーヤーは名実ともに「楽器」としての認知を確立したのです。

以降、レコードプレーヤーは家庭用の音楽再生機としての役割から徐々に距離を置きはじめ、そのポジションにはラジオ、カセットデッキ、そしてCDプレーヤーが幅を利かせることになります。当初は高価だったCDプレーヤーも、トランジスタアンプ以上の早さでコンパクト化・低価格化を進め、誰もが気軽に購入できるものになっていきました。一方でカセットテープの再生装置がウォークマンなどのポータブルプレーヤーが主流となり、メディア側の方ではDAT、MD、SACDなどが現れるなど、メディアがさまざまに枝分かれしていきますが、やがてパソコンの中へ収斂されていき、物理メディアすら消え去り、ついにはデータすらなく、ストリーミングなどのネット配信に置き換わっていくことになりました。

そんな中で音楽自体は、時流や再生機器・メディアに最適化された作曲・マスタリングなどが行われ、ほぼ無制限の長時間化や天井知らずの高音質化競争が起こるようになるも、それらスペックの向上は、モダン・ジャズやヒップホップが誕生した時のような巨大な化学反応によって新たな音楽ジャンルを生み出す原動力とはなりませんでした。

むしろマルチメディア化が成熟していくことで、新たに誕生するソフトウェアやプラットフォームが、新たな音楽を生み出す土壌となり(ツールのコモディティ化およびソフトウェアシーケンサーによる人力では演奏不可能な演奏が可能になったこと、発信先の多様化とSNSの台頭など)、これまでにない新たな「音楽」と「人」との関係を生み出しています。パソコンやスマートフォンにおいては、ハードウェア上のスペックや革新ではなく、ソフトウェア上のスペックや革新によって、また、その中で繰り広げられる人間同士のコミュニケーションによって、音楽は進化・発展しているのです。翻ってそれはオーディオにおいて、新たな技術革新が最早アーティストのインスピレーションの源泉になり得ないことをも示しています。その意味では、「オーディオの時代は終わった」と断言できます。

その一方で、前述のように首の皮一枚で生き延びたアナログレコードは、微かに息を吹き返し、2008年にはアメリカ発のイベント「RECORD STORE DAY」も後押しとなり、やがて同国ではCDのシェアを逆転するまでに至りました。日本でも、一度は消滅していたTechnicsも復活を遂げ、多種多様なレコードプレーヤーが店頭に並ぶようになりました。

音楽の可能性は、誰もが予想しなかった方向から、思いもよらない形で広がっていきます。その驚くべき力の前では、20世紀の技術競争も非常に即物的でイノセントに見えてきます。しかし、その過去の歴史なくして現在はありえません。私たちは間違いなく、エジソンがメリーさんの羊を歌うフォノグラフから連綿とつながる偉大な革命の数々の、子孫なのです。(終)

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