児童文学に奔る遅読者〜偶然アニメ放映45周年のタイミングで読んでしまった「冒険者たち」、そして11歳娘と「ガンバの冒険」を見た夏休み

小説が苦手な遅読者=僕は、少年時代は主に漫画かラノベ(当時はジュブナイル小説などと呼ばれていた)ばかり読んでいたので、文学作品はもちろん、児童文学の類は全く通過しないまま40過ぎのおっさんになってしまいました。

僕の親は子供に絵本を読み聞かせることも本を読ませることも一切なかったので、自分の子供には本に親しんでもらいたいと思い、娘には幼少時から毎日絵本を読み聞かせ、娘が自分で読めるようになってからは、少し文字の多い絵本を渡し、徐々に児童文学の世界へ……と目論んでいましたが、「よつばと」や「ブラックジャック」などを読ませているうちに、気がつけば立派な漫画読みになり、途中「星の王子さま」をプッシュするもうまく行かず、児童文学からは縁遠くなるという結果となりました。

まあ日本において漫画は今のものも昔のものもとても素晴らしいものが多く、歴史漫画のような教育向けのものはもちろん、完全な娯楽作品でありながら、あらゆる角度から様々な知識が得られる良質のコンテンツでいっぱいです。娘が漫画ならなんでも抵抗なく読むので、今は積極的に漫画を買っていますが、それでも古典と呼ばれるような児童文学の類には触れてほしいという思いは拭いきれません。一方で自分も全然読んだことがないし、そろそろ読んでみようかな、という気持ちも手伝って、書店に行っては児童書の文庫本コーナーに立ち寄り、その時の気分で購入しては少しずつ積読を進めていました。

そして本ブログで自分の遅読ぶりを振り返る中で、小説が苦手な僕でも、子供向けに書かれたものならスラスラと読めるのではないか。とふと気づき、試しに読み始めました。

読んだのは以下。

ポプラポケット文庫「がんくつ王」「海底二万マイル」
岩波少年文庫「モモ」「冒険者たち」

前者二冊は、元の作品を子供向けに短く編集したもので、ほぼあらすじを追っているような内容でした。展開がドラマティックで、復讐劇に痛快さのあるがんくつ王はそれなりに楽しめましたが、海底二万マイルは、ただただ航海をし続けている中での出来事を追っているだけ、という印象になってしまい、やはり全長版を読む感覚とはぜんぜん違うだろうな、と感じました。文章は平易でひらがな・ルビも多く、ややこしい表現も殆ど出てこないので、僕でも1冊1〜2時間程度で読めました。正直、ポプラポケット文庫の編集ものは、子供向けだとしても頼りない内容だと感じました。

「モモ」はずっと気になっていた作品でしたが、いやあ、これは読んで本当に良かったです。子供にとって読みやすい文体でありながらとても含蓄に富んでいて、単に良かっただの面白かっただのという感想だけで終わらせられない、人の生き方を左右するような、一生の一冊、という作品でした。「時間」というテーマを主軸に展開する、人間の生き方の根源を問うような鋭さは今も深く突き刺さる強さに溢れ、毎日のように娘に「早くしろ」と急かしている自分には、特に効きました。

そして「冒険者たち」。出崎統監督によるTVアニメ「ガンバの冒険」の原作として有名な作品です。

僕の少年時代は、平日・土曜日の夕方と夏休み・冬休み・春休みの朝は、アニメの再放送が流れている時間で、自分たちよりも少し前の時代のアニメ作品を、テレビで常に見ることができました。様々な作品が放送される中で、「ガンバの冒険」ももちろん放送されていました。本放送は1975年。僕が生まれる直前まで放送されていた作品でした。この再放送で何度か見た記憶はあるのですが、主人公たちの可愛らしい作画とかけ離れた、敵キャラのあまりに怖い描写と、小さな主人公たちを襲う、巨大で残酷な世界が恐ろしくて、あまり真正面から直視することができませんでした。ほんと怖かったんですよ、ノロイも海も。

その原作「冒険者たち」を、この機会に読んでみたら、これまた読みやすさと面白さ、物語を構築する力量の確かさにグイグイ引き込まれました。

「冒険者たち」は、実は「グリックの冒険」のスピンオフだった、って、ご存知でしたか。リスのグリックが主人公の物語に登場するドブネズミのガンバを主役にしたのが「冒険者たち」。ガンバが仲間たちと共に、白イタチのノロイを倒すために力を合わせてノロイ一族のいる島へと旅する物語です。アニメではガンバの仲間は7人に集約されていますが、原作では15人。穴掘りや俊足など、それぞれさまざまな特技を持っており、いくつもの窮地を彼らが能力を発揮し合いながら乗り越えていくんですが、そんな中で年寄りネズミのオイボレは体力もなくみんなの足を引っ張ることで仲間たちを苛立たせますが、それが時に袋小路にはまった一同の行動の突破口を生み出すきっかけになることがある、というところなど、キャラクターの魅力を際立たせる熱い展開が巧みに盛り込まれています。一方で、オオミズナギドリとの出会いでの緊迫感やノロイとの対決での頭脳戦、後半に幾度か訪れる(前半にイカサマによって予言される)別れの描写の切なさなど、息つく間もない手に汗握るドラマの連続は、子供ならずとも興奮させられる演出がされています。

「冒険者たち」への引き込まれついでに、DVD3巻で完結するDVD BOOKなるシリーズで、「ガンバの冒険」全話を購入(何故か1巻以外が公式に流通していないので、書店に行っても1感しか置いてませんでした)。コロナによって学校の夏休みが大幅に短縮されましたが、そんな短い夏休みのための楽しい宿題、というつもりで、娘と全話鑑賞しました。

僕もさすがに40過ぎて子供向けアニメが怖いということはなく、かえって大人になって見れば、その作品としての見事さに感心しきり。原作からのアレンジから見えるアニメとしての的確な演出や大人の事情も、楽しみのひとつ。

それよりなにより気になったのが、11歳の娘の反応。幼少期はピーナッツのアニメ、今は「鬼滅の刃」を繰り返し見て、現代テレビアニメの最先端にも触れている娘が、45年前のアニメをどう見るのか。

結果としては、ガンバたちの奮闘に完全に釘付けでした。作り手側が意図した笑わせどころにはウケるし、緊迫した展開には前のめりになるし、一度見始めたら次から次へと見たくなり、こちらでDVDを強制終了するまで止まりませんでした(10時間ぐらいあるので、イッキ見はしませんでした)。

45年前の作品が今の子供にも楽しめた理由はいくつかあったと思います。

一つは声優の力。野沢雅子、内海賢二といった名優(そういえばどちらもその後、鳥山明作品に関わることになるんですね)たちの演技の白熱っぷりは、昨今の声優とは(上手い下手ではなく)全く質の違うもので、たとえ絵が止まっていたとしても話を盛り上げていけるようなエネルギーに満ち溢れていました。今と比べて台詞回しが早口気味で、娘には(僕にも)時折聞きづらかったようですが、それも全く問題にならないほどです。

もう一つは、キャラ立ちしている登場人物。原作では15人いる仲間を7人に集約し、初めから最後まで一人も欠けず、一人も増えず、同じ仲間たちで貫き、しかも冒険の中で明確に役割分担させることで各キャラの存在意義が確立しているので、見ている側は自然と7人に感情移入できるようになっています。原作では、人数が多い上に途中で死んでしまうキャラクターもいて、それはそれで小説としてはとても良かったのですが、テレビアニメのシリーズとしてベストな形は、おそらくこの7人だったでしょう。

更に加えるなら、全編手描きのアニメだということも、強く作用しているように思いました。例えば先に例に上げた「鬼滅の刃」のアニメは、劇場版かと見紛うばかりの作り込みとサントラですが、「劇場版かと見紛うばかり」か否かは子供には分からないところなので、もっと直感的に共鳴するかどうかが勝負になります。そういう意味では、神回として名高い鬼滅の19話は娘も繰り返し見ていました(歌も覚えました)。出崎演出によるダイナミックな描線、迫力のある背景動画、画面の中を所狭しと駆け回るガンバたちの生き生きとした躍動感は、見るものに問答無用のリアリティや興奮、感動を与えてくれるものではないかと想います。

上記の理由は、いずれも今となっては古い手法となってしまいました。それでも、今のアニメを振り返ってみれば、この時代に生まれたこの「小さな巨人」の肩に、その多くが立っているような気がします。古くても良いものは良い。当たり前のようで当たり前でない、このことを忘れないように、改めて胸に刻んでおきたいと思いました。

それにしても、子供と一緒に「ガンバの冒険」を見た夏休み。だなんて、うーん、これはいいなあ。最高なんじゃないですか。

加えて、図らずも今年は放映45周年(しかもねずみ年)ということで、阿倍野で展覧会もやってました。ええもちろん見に行きましたよ、子供と一緒に。

というわけで、子ども向けの小説には古典でも良し悪しがあり、昔の日本のTVアニメはやっぱり凄かった、というお話でした。


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