「AKB関連の楽曲のサウンドを高音質なヘッドホンで聴くと、どの曲においても「不自然なほど低音域がカットされている」ということに気付く」という話について思ったこと

今年4月の記事ともなると、今のご時世旧聞に属すると言うべきかも知れませんが(Tumblrばっかり見てAmazonで古本ばっかり安い順に買ってると必然的に何でも出遅れることになるのです。だって多くの若者は最新情報をTwitterやInstagramから得ているというのですから……ってその情報も新聞から得てる時点でなんか駄目な感じしますね。でも新聞はやっぱりいいですよ。ちゃんと取材してるなぁ、って記事が沢山あります)、「AKB関連の楽曲のサウンドを高音質なヘッドホンで聴くと、どの曲においても「不自然なほど低音域がカットされている」ということに気付く」という話について。

乃木坂46の新曲にみる、秋元康の“仮想敵”とは? サウンドの特徴から分析

なるほど、試しにAmazonプライムで聴けるAKBの音源を聴いてみる(こういう時重宝しますが、結構最新アルバムとかも容赦無くプライム設定で会員は聴き放題になっちゃってたりするのでアーティストの方々は大丈夫かしらと怖くなります)と、一気に自分が100均とかコンビニにいるかのように錯覚する程の「あの耳触りの音」がするので結構びっくりします(「耳障り」じゃないですよ。音の感触が、ってことです。曲については今更ながら悪くないなと思いました。歌詞が瑞々し過ぎてきついですが)。

秋元康が「一番小さなラジカセを持ってきてくれ」と言うんだという話、いやそれぐらいのことだったら他の国内アーティストの録音現場のエピソードでも聴いたことあるし、レコーディングのドキュメンタリー映像なんかで最後マスタリングされたものをラジカセでチェックしてるところも見た記憶あるよ、と、反射的に思ったんですが、改めてよく読むと、秋元康がそんなところに拘るきっかけになったのが「ザ・ベストテン」の構成作家時代に聴いた田原俊彦の“NINJIN娘”だったとのこと。

Wikipediaによると“NINJIN娘”は1982年の作品。秋元康がプロデュースを担当したおニャン子クラブが1985年から。どうもその間に鹿児島の漁港でバリバリと歪んだアイドルソングを耳にして衝撃を受けたのではないかと推測しますが、だとするとジャニーズで言えば少年隊、TM NETWORKはデビューしたかしないか、ユニコーンやBOOMらに代表されるバンドブーム前ということになりますから、この「ラジカセで音質チェックする」というスタイルは秋元康によって日本のポピュラーミュージック界に普及したのではないか……と、Wikpediaと上記記事と過去の記憶だけをソースに考えていました。そのまま話を進めていくことにします。

すると、「スタジオで聴き取れるような細かいニュアンスにこだわってもマスには届かない」という秋元康の信念は、「ヒットメーカーとしての一つの態度」に留まらず、日本の音楽ビジネスを駆動させ続けてきた重要な手法だったのではないかとも思えてきます。この信念は、僕がピュアオーディオ視聴会以降取り組んできたことを綺麗に180°回転させたようなもので、ピュアオーディオ視聴会でホストを務めていただいていたA&M三浦社長は、「ラジオでちょろっとかかったのを聴いて“いい感じだな”と思わせるための音作りが今の音楽を駄目にした」というような話を繰り返していましたが、それを枕に「スタジオで聴き取れるような細かいニュアンスにこだわって音楽を作れ。マスに届けようと思うから駄目な録音になるんだ」という話に至ります。三浦社長は真空管アンプメーカーの代表取締役で、トランジスタと真空管の素子としての違いに拘る人なので(こないだも打ち合わせしてたらダンピングファクターだのNFBだのという話が出てきてそれはそれは難し面白かったのです)、そもそも秋元康のターゲットではない(いやしかし先日オーディオのイベントで美空ひばりの“川の流れのように”かけてたんだよこれが)のかも知れませんが、今やこの状況は秋元康の手から離れ、日本全国津々浦々まで浸食してしまったのです。多分。

話を「あの耳触りの音」に戻します。

本文中でAKB関連のサウンドについて「最先端のテクノロジーを駆使して田舎の漁村のスピーカーや小さなラジカセをシミュレートしているような、そんな不思議な感触」と書かれていましたが、僕が聴いたところでは「田舎の漁村のスピーカーや小さなラジカセ」をシミュレートしているというよりも、90年代の音圧競争華やかかりし頃の「別のアーティスト聴いたあとでこれ聴くと音でかくてびっくりする」感じをシミュレートしているような気がしました。恐らく波形を見ると上下真っ黒に埋め尽くされているであろうという音のデカさ、音場感や音の余韻の無さは、21世紀以降は「ちょっと行き過ぎたよね」とセーブする方向に進んでいたように感じていましたが、秋元康の現場では「漁村のスピーカー至上主義」が更にエスカレートしているのか、更にアクセルを踏み込んでいるようです。だから「不自然なほど低音域がカットされている」のではなく「低音域が回り込む余地がない程レベルを突っ込んでるので結果低域がスカスカに聴こえる」のではないか、という気がします。AKBを聴いた後、続けて(同じくAmazonプライムで聴ける)The Chemical Brothersのアルバムを聴くと、音が一回りか二回り小さく聴こえるんですが、倍音や残響音がその周囲に流れていて、立体感やボトムの広い感じが伝わってくるんですが、別にAKBよりも低音域が余分に含まれてたり前に押し出されているという感じはしないんですね。AKBは音をフラットな板状にしてスピーカーの一番前に押し当てて鳴らしているような聴こえ方がするので、恐らく低音域を感じないんじゃないかと。多分これで低音効かせようと思ったらメルツバウみたいになっちゃうと思うんですよね。ほら、メルツバウってライブだと身体が振動するぐらい低音がブーストされててものすごくボディソニックな感じあるけど、家のオーディオとかヘッドホンで聴くと意外にベースミュージックって感じしないじゃないですか。「ブオオオオオ」って言ってはいるんですけど、もうグシャグシャに歪んじゃって一面音の壁、っていう感じで。

別にAKBとメルツバウの共通点を見出そうというつもりで書いていたのではありませんでしたが何故でしょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください