花の詩女 ゴティックメード at 梅田ブルク7 (Osaka)

この日は梅田ブルク7に「花の詩女 ゴティックメード」を観に行きました。

上映前後にリブート版を購入して、10数年ぶりに読んだらFSS熱が再燃し、気づけば上映終了、しかも内容はFSSそのもの、加えて永野本人がソフト販売を渋ってるということで再上映の機会を見計らっていましたが、ドリパスでついに実現。ニュータイプ誌上での再開号は前代未聞の重版、その後の連載も毎号もの凄い勢いで伏線を回収し続け、読んでるこちらは毎号見逃せず、ますますFSS熱の上がる中、音響含めて劇場仕様で6年がかりで作り込んだという本作品にようやく触れることができました。

事前にワールドガイドも読んでたのであらすじもエンディングで何が起こるのかも分かった上での鑑賞だった上に、上映当初に観た人はまさか連載再開したらMHが全てGTMに置き換えられ、年表も映画を基準に刷新されてしまうとは思いもよらない状況で観ていたけど、僕は再開した連載にツバンツヒが登場したシーンも読んだ上で観た、という前提で書きますが、この映画はどう考えてもFSSファン向けだな、という内容。あらすじは極めて凡庸で、突き出た部分はFSSに興味がない人向けのものではありません。

絵の作りも、後半に向けて徐々に緊張感を高めていきますが、前半の半分以上はCGの使い方もセルの絵の完成度も結構チープで、ストーリーの退屈さとの相乗効果で、GTM登場を待ち構えつつも、まるでインディペンデント映画を観ているような気分になってしまいました。連載再開後の永野護の絵がかなり固い上に明らかに劣化していて、何故アニメーションという、絵に携わる仕事を続けていたのにこんな劣化が起こったのか、という点が気になっていましたが、映画を観てみると、それが映画由来だったんだな、とも思いました。

というか、こうやって本人が隅から隅までこだわって作ったアニメ映画を前に、やっぱりこの人は絵を動かすことには長けてないんだな、ということがよくわかった気がします。セリフ回しといいカット割りといい、漫画でやってることをそのまま持ってきて強引に動かしてるような違和感が随所にあり、漫画における「決めポーズや見栄を切ったアングルだけやたら巧いけど前後が断絶してる」感じはアニメでもそのままでした。

1時間強という尺にまとめたせいで、きっかけもよく分からないうちに反発しあっていた主役二人が分かり合っているし、登場人物の誰にも感情移入できないうちに「長い旅が終わりました」的なムードになっていて唖然としてしまいますが、FSSファン向けのサービスだと思って観れば、その寸止め感、分かる人でもギリギリ取りこぼす情報の唐突な詰め込み、永野護のドヤ顔が透けて見えるような演出には興奮してしまったのは正直なところ。

前記のように動きの固さは否めないんですが、劇場のシステムでこそ出せるダイナミックレンジを活かした音響は、絵の説得力を大きく底上げしていて、GTMのキビキビした動きは機械の重さを感じますし、戦艦の唸る低音はリアルな不快さ、広域の機械音はしっかりとした耳障りさを生んでいました。

この作品は4Kで作られているのでBlu-Rayで出すにも……と永野本人が渋っているというような噂も聞きますが、むしろ音響の方が大事で、普通の音量の家庭向きのサウンドシステムで聴いてしまうと相当見劣りしてしまうんじゃないかと思います。まあ思惑はどうあれ、拙速にビデオソフトをリリースしなくて正解でしょうね。上映終了後のお客さんの笑顔、中には涙を拭いている人もいましたが、おそらく劇場だからこそ味わえた感慨なのではないかと思います。

ということで、僕はFSSのファンなので結果的には楽しめました。でももうアニメはいいので漫画をとにかく描けるだけ描き続けてほしいです。今月号ニュータイプ掲載話のラストに「単行本にして6巻分という超巨大な物語、第6話」と書いてましたが、アニメやってなかったらとっくに描き終わってたかも知れませんからね。

そういえばエンドロールのラストでエスト、クリスティン・V、町と共に出てくる男性はダイ・グかと思い込んでましたが、黒髪なんでジークボゥなんですね。そうかそうかと納得。

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