「SEALDs」の「デザイン」

8月15日にSEALDsが解散するそうですね。右も左も、老いも若きも賛否両論渦巻いていましたが、それでも若者が集まり、メディアから注目を浴び、お茶の間までその名が浸透していったのは、ひとえに「デザインが良かった」からだと思います。

しかしそれは、「見た目がどうのとか、プラカードのデザインがオシャレだから若者が集まってる」ということではありません。勿論、「きれいな心意気で抗議をする人達に、その精神が似合うデザインがどうしてもついてくる」わけはなく、どんな聖人君子でも、クサいものはクサいし、ダサいものはダサい。

そして、「普通にメチャクチャな事が起こってるから」というだけであれだけ沢山の人たちが集まり、大きな行動になったのだとしたら、それはそれで随分と思い上がった話だなと思います。これを逆手に取って言うと、世界では過去に何度も「普通にメチャクチャな事が起こって」いますが、だからと言って自然と人が関心を持って集まり、大きなうねりになることはありません。「ethnic cleansing(民族浄化)」という言葉がPR会社によって「発明」されたことで人々の関心を集めたことについては、同単語をWikipediaで調べるか「戦争広告代理店」を読んでいただければ分かることだと思います。

つまりSEALDsは、PR会社(日本で言うところの広告代理店や企業コンサルなど)が行うようなことを、自発的に行うことの出来る集団であったということ。それを総じて「デザインが良かった」と述べているわけです。「SEALDsのホームページが意外とクオリティ高い」とか、それは「プラカードのデザインがオシャレ」と共に、実は枝葉末節でしかありません。

SEALDsには「デザイン班」「映像班」「出版班」などがあり、それらに所属している学生がグラフィックや撮影、編集などを行っており、デザイン班には美大の学生もいるとのこと。しかし、美大の学生がいればデザインが良くなるとは限りません。何故ならデザインは本来「見た目の美しさ」よりも「目的のための機能を実装すること」だからです。そしてSEALDsの「デザインが良かった」とは、後者の意味でも言えるからこそ「デザインが良かった」と述べているわけです。

更に、拙ブログでも触れた「デザイン思考」からすれば、もっと広範囲での「デザイン」と考えると、「集団としてのSEALDs」自体のデザインも、大変に優秀だったのだろうと思うわけです。

それは「自由と民主主義のための学生緊急行動」「SEALDs」という団体名の秀逸さにあるのではないか、というのが僕の推測です。何が秀逸なのかと言うと、「SEALDs」の略称がキャッチーでまとまっている上に、「自由と民主主義のための学生緊急行動」と解凍した時にそれがそのままタグラインになっているという点です。恐らく、このタグラインが学生たちを集結させ、彼ら・彼女らを自主的に自身の役割のもと、迷うことなくひとつの方向に突き進む力を与えたのではないでしょうか。不穏な情勢と団体名が交わった時に鼓舞させられた時に、自分は何をすべきか、守らなければいけないことは何か。そんなことが、誰かに聞かなくてもイメージできたのかも知れません。

指示待ちをしない、それぞれの持ち場で自分の判断で動く、それでいてSEALDsの一員としてやるべきことにブレがない。でもそれって、結局これは企業のトップが喉から手が出るほど作りたい理想の組織の状態とも言えるわけです。

そうなると、ウェブサイトにしても印刷物にしても映像にしても、「伝えたいことを最もうまく伝える」ためには、それを見る人が読みやすく、理解しやすい内容、図解、レイアウト、ビジュアルにしていかなければいけない、という方向で磨きをかけていくことになるのは最早必然です。逆にそういった集団としての意識がなければ、「伝えること」に磨きをかけていくことは難しかったのではないでしょうか。

何が言いたいかというと、「デザインは大事なんだが、それは見た目が格好良くなるから必要なんじゃなくて、貴方が伝えたいことが伝わるからなんだ」ということ、そして、「駄目なデザインが格好悪いのは、何を伝えるべきか理解せず作っているからだ」ということです。

恐らくSEALDsの方々もそこまで考えて動いていなくて、目的のために行動していたら自然とそうなった、というのが正直なところだと思います(上記引用のツイートからしてそんな印象が伺えます)が、彼らの経験を評価してくれる企業はホリエモンのような輩以外に沢山いて、そんな企業は、一番表に出ている政治的な成果ではなく、そのプロセスや自主的に行動できる力を評価してくれるんじゃないかと思います。そして、それらの企業の方がホリエモンなんかより日本の未来にとってよっぽど有益なんじゃないかな、と思います。

(一応デザインの話なので、Tシャツがパクり云々言われてたことに触れておきますが、あれはどう考えたって完全にパロディなんだけど、それが分からないのか分かっててわざと貶すために非難してるのか、僕にはよく分かりません。日本国民がデザインの意味を全く理解していないのは佐野研二郎問題の際に痛いほどよく分かりましたが(オリンピックロゴの件のみに関しては、ですが、あれは完全に白です)、こういったネットの悪ノリ癖というか魔女狩りごっこはいい加減になんとかしないと、憲法改悪も戦争開始も“その場の勢い”であっけなく実現してしまいそうな怖さがあります)

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