「星の王子さま学」で解ける夢/解けない夢、そして点灯人は友達になれそうだろうか

数年前、子供が4歳ぐらいの頃だったと思いますが、本を読み聞かせしていると、少し長いものでもじっと聞けるようになってきて、ももいろのきりんなどを読んであげたりしていたんですが、他にも何か読んであげたいな、と思って本屋をうろうろしていたのが、「星の王子さま」との出会いでした。

それまでも名前やあの絵柄は何となく知っていましたが、読むのは初めて。子供に読ませる前に読んでみたら、あまりの素晴らしさに感動してしまいました。しかし、内容としては我が子には少し分かり辛いかな、というのと、読み聞かせようとしてもあまり興味を持たなかったので、そのまましばらく本棚の中に収まっていました(一応、子供が読みたくなったら読めるような場所に)。

それから数年過ぎ、つい先月、とある事情で「星の王子さま」を読み返す機会があったんですが、ちょうど良い具合に記憶が薄れていたのも手伝ってか、改めてその内容の深さに心を揺さぶられ、また当時とは違う感動を受けたのです。

気持ちが昂り何度か読み返すうちに、この物語に出てくる抽象的で何かを示唆するような表現の数々の「意味」や「意図」が気になり始めました。王子さまとは一体誰なのか。様々な星の住人は何を表しているのか。翻訳の違いは何故起こっているのか、そしてこれは、本当に童話なのか……。

書店で「星の王子さま」の関連書籍を探しているときに見つけたのが、この「星の王子さま☆学」。版型もコンパクトで、僕が気になっているポイントの多くについて簡潔に語られている読みやすさに惹かれて購入しました。

読後の感想としては、まさにこちらが期待していた疑問の多くは、驚きと共に解きほぐされ、今までのミステリアスな「星の王子さま」の世界がよりリアルなストーリーとして解釈できるようになりました。献辞におけるレオン・ヴェルトがユダヤ人であるという重要な事実ことから始まり、サン=テグジュペリによる他の著書からの引用も交えて、歴史的背景を踏まえながら立体的に展開していく様は、とてもダイナミックでした。

そして、これは読む以前に覚悟していたことでもありますが、やはり夢を醒まされるような虚しさも避けられませんでした。意味が分からないからこそ神秘的に響く言葉のそのいくつかは、舞台裏を見たことでベールが剥がされ、生々しく具象的な「意味」を明確にしてしまいます。勿論、いずれも「星の王子さま☆学」という本による解釈の一つであるわけですから、その解釈のみに囚われる必要もありませんが、とは言え、一度知ってしまったことからは、なかなか容易に解放はされないものです。

だからと言って、すべての謎が解けたわけではなく、「星の王子さま☆学」の中でも疑問符がついたまま宙ぶらりんになっているところは少なくありませんし、明快な一つの解釈に収斂していないところもあります。「星の王子さま」の周辺事情を知るとこで「星の王子さま」の「仕組み」にある程度は迫ることができても、それでもなお、読者がそれぞれの思いを投影する振り幅とうっとりするような幻惑は消えず、星の王子さまの存在について(彼が「小さな領主」だとしても)限りなく想像を広げられるだけの神秘性は湛えられたままです。

読後に、語り合いたくなる本ですね。語り合う相手がいないのが辛いところですが。実際、「聖書の次に読まれてる」なんてどこかで聞きましたが、日本人で読んでる人ってどのぐらいの割合いるんでしょうね。どこの本屋でもだいたい置いていて、しかも2、3種類あるぐらいなので、結構売れてるのかな、とは思うんですが。でも、聖書だって、読んだことある人ってかなり限られてると思うんだけど。

というわけで一人語りをするとして、「星の王子さま☆学」を読んで、今もなお気になっていることについて少し。「星の王子さま☆学」のネタバレをあまり含まないように、逆に「星の王子さま☆学」を読んでないとちょっと分かり辛い書き方をします。

本編「星の王子さま」を読んだ時から「星の王子さま☆学」を読み終わった後の今に至るまでずっと引っかかっているのは、「点灯人」を王子さまが「友達になれそうだったのはあの人だけだ」とわずかながらも理解を示していた点です。「星の王子さま☆学」においても、点灯人については「ただ言われたことしかやらない者」の問題点について、サン=テグジュペリの過去の著書からの引用も交えて考察していますが、要するにサン=テグジュペリも過去には「ただ言われたことしかやらない者」について批判的であり、僕も初め読んだ時から「なぜ、言われるがままで何の考えもないような人物に、王子さまは共感するんだろう」と不思議に思っていました。どうして、王子さまは点灯人にだけ理解を示したのでしょうか。

「星の王子さま☆学」では、6つの星の住人について、それぞれ分離した解説と、6人を大きく二つのグループに分けて分析しています。二つのグループとは、人の上に立ち命令しようとする人たちと、消極的で責任を他人に預けるタイプの人たち。本編では、主に前者が滑稽で愚かしく描かれていますが、「星の王子さま☆学」では、切迫した状況を打開するには前者への訴えかけこそ必要としており、言い換えれば、前者は使いようだが、後者は使い道がないかもしれない、とも言えるかも知れません。

ところが、その後地球にたどり着いた王子が出会う二人の人間は、「時間を費やす子供について語る鉄道員」と「時間の節約を売り物にする物売り」だと言う。そこで語られるのは、近代的な合理化と相反する、フィジカルな体験の積み重なりとしての「時間」への礼賛と言ってもいいかも知れません。この「時間」への視線は、本編中に繰り返し登場します。王子さまとバラとが過ごした「時間」、王子さまとキツネとが過ごした「時間」、王子さまと飛行士である「ぼく」とが過ごした「時間」。いずれも、「星の王子さま☆学」で語るところの「なつける」という状態を生み出すための条件のひとつとなりますが、その時間の中で王子はバラに様々な注文をつけられ、キツネからは「なつける」ためのプロセスについて教育を受ける、そして飛行士は王子からの質問攻めに答え続ける。結果、互いに大切な存在へと育まれることになります。

このことに大きな意味を見出している、という視点から6つの星の住人たちを振り返ると、「誰かから何かを強いられ、本意でなくてもそれに従い続ける」という時間の過ごし方をしているのは、点灯人だけです。王様も大物気取りの男も実業家も地理学者も、ただただ自分本位に好きなことをやっているだけで、酒浸りの男に至っては、やりたくもないのに止められない、まったくの無為な状態に陥ってしまっています。こうなれば、6人の中で点灯人だけが友達になれそうだという理由も分からないではありません。しかしその理由は、王子さまの言う「自分以外のことに身を削っているから」だけではなく、点灯人の仕事には他者との繋がりがあり、その時間の積み重ね方が、後に王子さまがキツネから教えられ、飛行士に説く、心のつながりを生み出すプロセスと似通っているからではないでしょうか。王子さまは、そのことに潜在的に気づいたからか、それとも王子さまの存在自体に時空の捻れがあるのか、いずれにしても、「自分以外のことに身を削っているから」友達になれそう、というやや唐突で子供向けの教訓じみた語り口には、言外にその後の展開を示唆する意味も含められているのではないでしょうか。

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