とても面白かった「シン・ゴジラ」の気になったことや思い出したこと

シン・ゴジラを、TOHOシネマなんばに観に行きました。レイトショーで1,300円。お客さんいっぱいでした。巷の評判がすこぶる良いことが強く後押ししてるのでしょうか。

shingodzilla

観た人の情報がネットに上がっている中で、色々気になることがあったのと、ネタバレを警戒するのが辛くなってきたので、観てきました。観に行って良かったです。面白かったし、勉強になったし、ネタバレを気にすることもなくなったので。

気になったことの一つはこれ。

庵野秀明総監督の『シン・ゴジラ』を見てマーケティングが完全に変わると怖くなった。

実際には「予告編」の「演出」の先頭に「庵野秀明」の名前がありました。他にも色んなところに名前が出ていて(撮影もしてるし題字も作ってるし)、それを観るだけでも、庵野監督がどこに拘ったか、どこをやりたがったのかが見えてくるようで面白かったです。

ただ、この記事で前提となっている「トレーラーが最悪」とは全然思わなくて、むしろすごく良かったと思うぐらいでした。特に一番最初のトレーラー、本編ではゴジラ最初の上陸の際の手ブレしまくったカメラがパニックに陥った群衆の中を駆け回る映像には猛烈に心拍数が上がり、改めて前後がつながった状態で映画を観た時も、やはりこのシーンが最高だなと思いました。そういう意味で言うと、その後のゴジラ登場シーンを含む予告編で実際にゴジラの姿が映っているのを観ると、さすがにカッコいいなとか凄いアングルで見せてるなとか感心しつつも、ほんの僅かながら冷めてしまった面もあります。あの第一弾でのパニックシーンに感じた凄まじいリアリティが一気に超現実になってしまったからです。

今回のゴジラはその「リアリティ」が大きなポイントになっていて、本編を観ている間も、会議シーンや自衛隊のシーンを観ながら「こんな脚本や演出、どうやって形にしたんだろう」と驚きながら観ていましたが、パンフレットに書かれていたメイキング的なテキストを読んだら、それは徹底的に取材して3.11時の議事録などを隅々まで読み尽くしたからだ、という強烈なストレートパンチだったので二度驚きました。しかしそのリアリティは、最初のトレーラーに使われていたシーンがピークで、それ以外のシーンでは意外に薄味に感じられました。というのは、この映画は予告編含め、冒頭から「リアリティに拘りました」という雰囲気がありありと伝わってくるんですが、何故か役者の台詞まわしに凄く違和感があって、誰も彼もが腑に落ちた喋り方をしていません。とても「言わされている感」があり、思ったことを口にしているのではなくて「台詞を読まされている」ことが明確でした。それに加えて、この映画は始めから最後まで出続ける役者は主役級の2〜3名なのに対して有名人がカメオ出演レベルの人も含めて数え切れないぐらい出ていて、その殆どが上記のような演技なので、話の流れに関係無く「あ、ピエール瀧だ」などと役者本人のイメージでしか見えないようなことになってしまっていました(本編中、僕が第一弾でのパニックシーンと同じくらい大好きなのは、巨災対の早朝、事務所のごみを回収してる清掃員のシーンで、ここに漂う空気の穏やかさと日常感が凄まじくリアリティを生み出していて素晴らしいと思うんですが、直後に片桐はいりがお茶汲みのおばさんの役で登場して、各員に話しかけながらお茶を配るという、実にあからさまなシーンによって台無しにされてしまっています。直前のリアリティが、片桐はいりというベテラン女優にしか見えないおばさん役のせいですっかりフィクションに連れ戻され興ざめしてしまいます。こういう、お茶配るとき声かけてくるおばさんいると思うし、いるんでしょうけど、こんな表情作って力強いオーラ放ってないよっていう)。石原さとみの英語が上手ければ上手いほど「イーオンで学んだのか」と想像して吹き出しそうになるのを堪え切れませんでした。

その台詞の内容も、とてもリアリティを感じるものがある一方で、「なんということだ……」的な、仰々しい、嘘くさい、いかにも作り物の言葉が合間に入ってきて、なんだかなぁ……と思う瞬間も少なくなかったんですが、もしかするとこの辺りは庵野監督が意図的に過去の特撮映画に寄せているのかも知れません。それで言えば、この映画は、特撮ファン、エヴァファン、映画ファン、単なる話題性で観に来た人(僕はエヴァも全部観てますし10代まではオタクやってましたが今だとこれに当たると思います)それぞれの角度で見え方が結構変わっていて、それぞれの目線でないと見えない部分というものがあるような気がして、それが観た人の感想における見解の違いなのかなという気がします。

僕にとっては、冒頭から唐突に始まり、登場人物の説明も(役者が出てくると1秒弱だけ映る肩書きと名前のテロップ以外)一切無いまま話だけがどんどん進み、トントン拍子で街が破壊されてトントン拍子で対策チームが問題解決の筋道を作って気づけばゴジラをなんとか止めて、「戦いはこれからだぜ」的に終わるスピード感では、「会議ばかりで決断力がない日本政府の駄目さ加減」は全然感じませんでしたし、最後に「戦いはこれからだぜ」的に決められても、結局キャラクターに感情移入できないまま最後まで来てしまっているので「で、あんた誰」とまでは言わないにしても、ああそうですかと白けた気分になったのも正直なところです。

しかしそれでも、第2段階ゴジラが街を破壊しながら這いずり回る気持ち悪さの良さには興奮しましたし、第3段階ゴジラの登場シーンの迫力、自衛隊の攻撃シーンの生々しい発射音、米軍の攻撃を受けた後のゴジラ暴走〜火の海のシーンには圧倒されましたし、総合的には本当に面白くて、上映後は、時間の経過に驚き、少しふらつきながら、久々に凄いもの観たなぁ、という興奮に包まれていました。特に、3.11以後の今の日本人だからこそ分かるような描写も多く(先程の火の海だって、3.11後の僕らには架空の描写ではなく、真に迫る景色なわけですから)、そういう意味では、この作品が海外上映した場合には、「日本人」と「それ以外の国の人」でも、こういった描写や表現の見える角度というものは大きく違ってくるでしょうね。

多分庵野監督としては、限られた予算と時間の中で、初代ゴジラへのオマージュ、自分が作りたい特撮、リアリティの表現など、やりたいことを盛り込んでいく中で取捨選択した結果が今回のシン・ゴジラで、どんなに気になるところが散見しても、それをねじ伏せるだけのエネルギーはみっちりと詰まった映画だと思います。

庵野監督と言えば、僕の高校時代の恩師は大阪芸術大学出身で、恐らく学校のつながりからDAICON FILMの作品を観ていて、生徒である僕らに「ブレスレットの代わりに時計を投げて……」などと、(確か「ナディアを監督してる庵野という人は……」という文脈で)面白おかしく話してくれていました。当時はその作品を観たい観たいと思っていて……とそんなことをこの映画のことを考えているうちに思い出し、今はYouTubeで観られるようになっているので観てみると、核兵器がどうとか言っててこれ完全にシン・ゴジラのベースにしてるじゃないか……という。まあ思い出話でもないですが、そういえばその恩師の先輩が中島らもで、「○○(恩師の名字)くん……牛乳ってな……腐ると……ヨーグルトになるねんで……」とあの口調で話しかけられて「怖っ」と思った、というエピソードの方がインパクトがあったな。ということを思い出したり。本題と全く関係のない話でした。

[amazonjs asin=”B01FUJN2LY” locale=”JP” title=”シン・ゴジラ音楽集”]

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください