京都フィルハーモニー室内合奏団 第198回定期公演 ≪言霊に音霊 会ひし桜かな≫ at 京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ (Kyoto)

この日は京都コンサートホール アンサンブルホールムラタで行われた京都フィルハーモニー室内合奏団の演奏会に行って来ました。

言霊に音霊 会ひし桜かな

20世紀前半と今世紀の新作を織り交ぜたこの日のプログラムは下記の通り。

10楽器のためのディヴェルティメント(黛敏郎)
ヴィオラと弦楽オーケストラのための協奏曲(水野修孝)
室内交響曲 Op.69(H.アイスラー)

〜休憩〜

苦艾(高橋悠治)

お客さんの年齢層は結構高め。自分より若い人は、親子連れで来ていたお子さんぐらい。

プレトークには、指揮者の齊藤一郎、作曲家の水野修孝と高橋悠治、俳人の馬場駿吉という4人が登壇し、この日の演目について話されていました。水野氏と悠治氏はなんと約50年ぶりの再開とのことで、当時水野氏のいるスタジオに悠治氏が演奏に来て、指を血まみれにしてピアノを弾いていたというエピソードを話されていました。「(何を弾いていたのかとの齊藤氏の質問に)即興ですよ即興。当時は小杉(武久)なんかとずっとそればかりやってました」と、日本の現代音楽史に触れるような話も出てきて、思わず前のめりに。

この日の1曲目は、黛敏郎が19歳の時に書いたという器楽曲。ディヴェルティメントの名の通り、明るく軽快な曲調で、現代音楽へと足を踏み出す前の、西洋音楽そのままのスタイルという感じでした。

続いての“ヴィオラと弦楽オーケストラのための協奏曲”は水野氏2014年の作品。弦楽器のみによるマイナーの曲調は張りつめた空気を生み出していて、途中フレーズが繰り返されるところなどはライヒを彷彿とさせもしました。

前半最後はアイスラーの“室内交響曲 Op.69”。ノヴァコードという世界最古のシンセサイザーを使うことを前提とした楽曲ですが、ノヴァコードが国内には現存せず、代わりにモーグシンセを使っていました。この日の座席は左寄りで、モーグシンセも左端に配置され、出力用のBOSEスピーカーもこっちを向いていたせいか、ただでさえ生音の中で分離しがちなモーグの音が殊更に耳に届いてしまって、演奏全体のバランスを崩しているようにしか聴こえませんでした。いかにもモーグな、生楽器と比べてやや遅れを感じさせる音色もかなり違和感がありましたが、オリジナルの演奏ってどんな感じだったんでしょうか。

後半は、この日のために悠治氏が書き下ろした新曲“苦艾”。馬場氏による俳句を能楽師が詠み上げ、それに演奏が伴うというもの。俳句は半歌仙と呼ばれる18の連句で出来ていて、悠治氏はそれに序章〜18章の譜面を書き、それぞれの章の頭で能楽師がくをひとつずつ読むという構成でした。譜面にはテンポや強弱の指示が無く、奏者がそれぞれの意思で決めて弾くというルールになっているらしく、指揮も演奏を細部までコントロールするというよりも、鳴らし始めるきっかけと締めのタイミングだけ指示するような感じで、手の動きもハンドルを回すように円を描いていたのが印象的でした。

そのため、必然的に楽器群が一体となって音の壁を作るような瞬間は一切無く、それぞれの楽器が口数少なく、互いの音に干渉するようでしないような微かな触れ合いを起こしながら静かに演奏が続き、能楽師はその周囲を歩きながら、浪々と句を詠み上げます。何かひとつの完成図を目指して構築されているのではなく、まるっきり即興演奏のようにも聴こえますが、破綻や不協和の違和感を覚えるところは無く、美しく滑らかに澱みなく響き続けるサウンドからは、高度に作曲されていることを感じさせられます。

プレトークで悠治氏は、数十人のお客さんに向けて演奏会をすることが多く、それによって「殆どの人は聴いたことがないから、あらぬ噂だけが一人歩きする」という状況が生まれるのが、良いんだ、ということを話されていて、さすがだなぁと(全員が正装している舞台上でひとりカジュアルな袖なしダウンを着ていたところなんかも)思いつつ、やはりこの曲、もう一度聴いてみたいです。

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