“放送禁止歌”と“放送禁止用語”から垣間見える“騙し絵”の世界からの脱出

ずっと勘違いしていたことがありました。始めにどこの情報で知ったのか、今となっては記憶が曖昧なんですが、もしかすると、ソウル・フラワー・ユニオン中川敬による、高田渡への追悼文だったかも知れません。

そこには、

「ソウル・フラワーが『シャローム・サラーム』に<自衛隊に入ろう>を収録すべく彼に連絡を入れたとき、「これ以上<自衛隊に入ろう>で語られたくないので、CD化は辞めて欲しい」との旨を受け、残念ながらCD化を見送ったということもあった」

と書かれています。

……いや、これが最初ではなかったかな。いずれにしろ、どこでどう脚色されたのか、僕は高田渡が“自衛隊に入ろう”という曲を歌いたがっていない、そしてそれは、そういう政治的な歌を歌いたくなくなったからだ、と、どこかで刷り込まれてしまっていました。歌が政治的であることは、すなわち歌い手が政治的なことに関わることであり、それは、歌の自由が政治的な問題と無縁であり得ないことを考えても、歌える人間が歌うことを否定すべきではないではないか……と。

ところが、森達也著「放送禁止歌」に記された高田渡へのインタビューの中で、彼は、

「歌詞を額面どおり受け取って本当に入隊してしまった人が当時いた」(放送禁止歌 P.46より)

ことに少なからぬショックを受け、

「そんなこともあったから、ステージでも『自衛隊に入ろう』はずっと封印してるんだよ」(放送禁止歌 P.46より)

と語っていたのです。僕は、当初の稚拙な左翼思想を恥じるような心持ちになりました。

2000年に出版され、2003年文庫化された「放送禁止歌」は、冒頭からその高田渡が歌う“スキンシップ・ブルース”という軽妙洒脱な猥歌で始まるドキュメンタリー番組「放送禁止歌」の、更にその制作の前後を追ったドキュメンタリー本です。

同番組は、2014年6月現在YouTubeでほぼ全編(ラストの岡林信康“手紙”の部分が著作権の問題でカットされたようです)視聴できます。過度にシリアスにならず、随所にユーモアを織り交ぜながら(何せ放送禁止になった歌自体が、重いテーマを抱えたものばかりでなく、前述の“スキンシップ・ブルース”のように笑いを誘うものも少なく無いのですから)「放送禁止歌」の実体に(実体は無い、という結論ですが)詰め寄る見応えのある内容になっています。

エンディングでカメラが鏡に向かい、画面いっぱいにレンズが映されるシーン(つまり、「放送禁止歌」を生み出しているのはテレビの前の貴方達だ、という意味)は、これ見よがしなあざとい演出ではありますが、「放送禁止歌」、そしてそれと無縁ではない「放送禁止用語」のありようを端的に示していると言えるでしょうし、その状況は今も変わっていないでしょう。

10年ほど前ですが、ごくプライベートなシチュエーションで、ある人と日常的な会話をしている中で、僕が「めくら撃ち」という言葉を使った時に、相手から「あかんあかん」と苦笑まじりに言われたことがありました。

相手も、「なんてことを言うんだやめなさい」と強く責めるような言い方ではなく、「あ、言っちゃった」というような軽いニュアンスではありましたが、いずれにしても「めくら」という言葉は気軽に口にするものではないよ、という心理が働いたことは確かでしょう。

それ以外にも、「つんぼ」「かたわ」「気違い」なども、昔はよく口に出して言っていたような記憶があります。

今、僕はこの手の言葉を口にすることが余りありませんが、その理由は自分でもはっきりしません。「世間の空気が、言いにくくなっているから」とでも言いましょうか。それは、前述の「あかんあかん」という突っ込みが、日常の中に広く深く入り込んで来たということです。

そして、その「世間の空気」を作っているのは、恐らくマスメディア、中でもテレビではないかと思います。

皆さんも経験があると思います。生放送の番組を観ていて、途中CMが入り、再開された瞬間に番組の進行役が「先ほど不適切な発言があったことをお詫びいたします」と言ってるのを聞いて、「え、何か言ったっけ」を逆に気になってしまうということが。テレビは、放送禁止用語のオリジネイターとして、世間一般に使われる言葉を先回りして規制していきます。

書籍の中で、“悲惨な戦い”を放送禁止扱いとされたなぎら健壱は「気違い」について、

「語源をよくよく考えれば、気持ちが違うという表現はすごく優しいよね。今一般に使っている精神障害者なんて言葉よりよっぽど思いやりのある言葉だと思うんだけどねえ」(放送禁止歌 P.43より)

と語っていますが、規制することになった理由は、精神障害者家族会による抗議があったのを発端とし、それをきっかけに世間でも使われなくなった、とネット上では記されています。

今となっては周知の事実であろうとは思いますが、念のためここで確認しておきます。放送禁止歌も放送禁止用語も、メディア側の単なる自主規制です。上記事例に関しても、抗議されたことに対し、放送上その言葉を使うのはやめよう、と放送局側が「自分で決めて自分で使わなくなった」だけです。

問題は、抗議に対して局側が何らかの釈明を行ったのか、です。

番組中では、「幻の名盤解放同盟」が「部落解放同盟」と名称が似ているからと部落解放同盟より指摘され、該当箇所を黒く塗りつぶして販売した店舗があったという事例も語られます。こちらも同じく、部落解放同盟への釈明があったかどうかが問題となります。

森は、部落解放同盟へも取材を行い(それ自体が当時放送局としてはタブーとされていたそうです)、その中で、彼らが実際に抗議を行ったことがあると認める一方、それに対してメディア側からの釈明が無かったことも話しています。

「……確かに糾弾はあった。僕もようやった。怖い思いをさせたことは事実やろうね。それは認めるよ。だけどな森さん、勝手な言い分と思われるかもしれんけど、メディアは誰一人として糾弾には反駁(はんばく)せえへんのよ。信念をもっているのなら、僕らに反論すればええやないか。でも反論なんて一回もなかったよ。みんなあっさり謝ってしまうんですよ。僕も糾弾の現場に居合わせたことは何度もあるけど、やってるうちにつくづく情けなくなってくるよ。誰一人として応戦して来えへんのやから。表現を職業に選んだ人たちが、そうしてこの肝心なときに沈黙してしまうんやって……、言えた義理やないことはわかってます。でも言えた義理やないけれど、僕はつくづく思ったよ」(放送禁止歌 P.219より)

果たして「差別的な意図を持って使ったわけではない」と真意を伝えることで抗議は収まったのでしょうか。番組、書籍共に登場する放送禁止歌の殆どを、番組によって初めて聴く世代である僕にとって当時のムードは計りかねるものがありますが、やはり問題は「言葉や歌が封印されなかったかどうか」ではなく、「言葉や歌を守ろうとしたかどうか」ということになります。

昔、「鶴瓶上岡パペポTV」が生放送をした時、番組終了間際に笑福亭鶴瓶が上岡龍太郎にそそのかされて「おめこ」と口走ったことがあります。
https://www.youtube.com/watch?v=x_y4THcB8X0

テレビの前で大笑いしたことを今でも思い出しますが、しかしこの言葉が放送禁止用語でなければそれほど面白くも無かったのかも知れません。上岡も「放送禁止用語」という領域が放送業界にあったからこそ鶴瓶をそちら側へと追い込んだのであり、鶴瓶も「放送禁止用語」という領域がタブーだからこそ最後に一瞬飛び込んだわけで、この、言わば視聴者との共犯関係のようなものは、同番組の伝説的ポスター「見てるあんたも同罪じゃ。」からして一貫性を感じさせます。

Wikipediaには後日謝罪したと書かれていますが、僕は謝罪シーンを観た記憶がなく、てっきり謝罪をせずにそのまま後日触れられもしなかったと思い込んでいました。

でも、この謝罪は一体、誰に対しての、何のための謝罪なんでしょうか。

前述のなぎら健壱の言葉には前振りがあり、それはこんな内容でした。

「僕は落語が大好きなんです。でも今はもう、古典落語も言葉の問題でほとんどが放送できなくなっているわけですよ。“バカ”とか“メクラ”とか、使った瞬間にピーだよね」(放送禁止歌 P.43より)

90年代後半頃、3代目桂米朝の独演会によく行っていた頃の話。ある日の公演で、いつものように噺の枕で小咄を挟んでいたのですが、それは「めくらとつんぼが橋をまたいで会話する」というものでした。会場は笑いに包まれていましたが、「めくらとつんぼ」を題材にした、捉えようによっては差別的と言われかねない内容に驚きもしました。

落語に限らず、演劇の世界でも「気違い」という言葉を数度聞いたことがあります。こちらは、古い日本の言葉を使うことによる「時代のズレ」が主な原因となる落語と違い、既に差別用語とされた「気違い」という言葉のインパクトを利用していた側面もあるかも知れません。

その他、明石家さんまが自身のプロデュース公演でチャールズ・ジェンキンスと曽我ひとみの空港でのキスシーンをMr.オクレと内山信二で再現していたり、ナイロン100℃の舞台でテリー伊藤について「視野が広ーい」と言うなど、マスメディアの自粛しそうなことが、数百〜数千人の囲われた空間では伸び伸びと表現されていることに何度となく触れるにつけ、「放送禁止用語」とは、数百万、数千万の開かれた空間を制御するための自己防衛システムのようなものだったのだ、ということに気付かされました。

放送局にとっての喫緊の問題は「言葉や歌を守ろうとしたかどうか」ではなく、「言葉や歌を守ることの収益性と効率性」であって、それは企業である以上、利益と天秤にかけられる運命であり、マンパワーと時間を多く必要とする「言葉や歌を守る」ことより、即座に手間無くできる「放送禁止用語というルールによって規制を行う」ことが利すると判断したであろうことは容易に想像がつきます。民放連の村澤繁夫の言葉として書籍「放送禁止歌」の後半に書かれた、

「マスメディアは、実は規制を望んでいるのではないか」(放送禁止歌 P.241より)

という言葉は、つまりそういうことなのだろうと思います。

しかし、マスメディアのみが世界を支配する時代ではなくなった今、我々は、昔であれば「放送禁止歌」とされてきた音楽を日々当たり前のように耳にすることができます。例えばソウル・フラワー・ユニオンの、権力を皮肉った歌詞や政治的なメッセージが強く反映された歌詞を耳にしても「ああ、これは放送できないな」などとは思いません。それだけ音楽に対するマスメディアの存在感が著しく小さくなっている今、仮に「放送禁止歌」があったとしても、それはYouTubeでの再生回数を伸ばすためのプロモーション要素にしかなり得ないでしょう。それは、ADVISORYマークがファッション化しているのと似ています。

そして、先日のCHAGE and ASKA作品回収の件にしても、消費者同士が繋がるためのCtoCの仕組みが充実した今となっては、聴き手にとっては何ら意味を成さない環境となりました。マスメディアの影響力が絶大で、国民のすべてを支配する力を持っていた時代、怒りの矛先もマスメディアにのみ向かうしかなかったのだろうと思います。しかし様々なことが細分化、多様化した今も言葉選びに過敏になったまま、「“ちんこ”はいいけど“ちんぽ”は駄目」などと慌てふためいている様は滑稽でしかありません。

しかし、「放送禁止歌」「放送禁止用語」による「臭いものには蓋」という姿勢は、放送局に限らず、日本という国の一面を象徴しているという意味では、無責任にあざ笑ってばかりもいられません。

番組「放送禁止歌」は、真っ黒の画面に岡林信康“手紙”が流れるというエンディングで締めくくられますが、書籍「放送禁止歌」では、その後行ったデーブ・スペクターとの対談によるアメリカでの放送規制との比較を挟み、“竹田の子守唄”の舞台である京都市伏見区竹田地区での取材へと流れていきます。話は“竹田の子守唄”の歌詞の意味を追求していく中で、日本における部落差別の実態へと肉迫していきます。

昨今、主に韓国に対して差別的な発言やデモを繰り返すレイシストの存在が顕在化していますが、それは、臭いものに蓋をし、差別を見えなくすることによって「負の遺産」が長い年月をかけて人々の奥深くに徐々に蓄積され、不安定な社会情勢の中で生まれたほころびから漏れ出してきたのかも知れません。

書籍「放送禁止歌」のあとがきに、岡林の“手紙”よりも凄惨で恐怖すら覚える、ある男女とその父親のエピソードが書かれていました。日本人の底知れぬ闇を見せられるような、正に狂い死んだような最期を遂げたこの父親は、差別は駄目だと当然のように口にしている自分と何が違うんだろうか。果たして僕は自分を信じられるのだろうか、信じて良いものだろうか。

差別とは一体なんだろうか。人権とは。人とは。

「大切なのは知ることだ。知って思うことだ。営みを想像することだ。それさえ停止させなければ、同じ過ちを際限なく繰り返すこのエッシャーの騙し絵のような世界から、きっと僕らは、いつかは離脱できる。僕はそう信じている」(放送禁止歌 P.236より)

気を許すと「差別」という騙し絵の世界に絡め取られかねない今の日本で、オンラインとオフラインでヘイトスピーチを繰り返す人々は、「犠牲者」であるのかも知れません。彼らを騙し絵の世界から現実の世界へ引き戻すことが出来るのは、文字通り身体を張ってレイシストに立ち向かっている反ヘイトグループだけではないはずです。

「目を背けないことだ。

いつかは消えるなどという幻想を僕は持っていない。でも見つめるだけで、きっと知らなかった以前とは何かが変わる。見て触れて聞くだけで、肥大した幻想は必ず崩れ落ちる」(放送禁止歌 P.249より)

追記:→「書き捨て」られる苦しみ 部落差別は眠らない
追記2:→手塚治虫が描いた「在日」

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