アトムの足音が聞こえる at 京都シネマ(Kyoto)

この日は京都シネマに「アトムの足音が聞こえる」を観に行きました。

電子音響の世界を、大野松雄と交友関係のあった人物たちの証言を交えながら綴ってゆく前半の展開は、ドキュメンタリー映画「MODULATION」に通じる「音楽ドキュメンタリーもの」の面白さに溢れており、「音響効果」視点から音楽史を捉えた様々なエピソードに胸を躍らせずにはいられません。耳にへばりつくようにしっとりと語る野宮真貴のナレーション、トリッピーでハードエッジなパードン木村の音響効果も実に刺激的。

しかし、映画は大野本人が登場するところから一変します。

滋賀県にある知的障害者施設で、障害者たちによる演劇に携わる大野。映画は、氏がどのような仕事をしているのかについては詳しく触れません。何十年にもわたって障害者たちと関わり、自身の手で障害者たちのドキュメンタリー映画まで作っていた歴史と、今まさに行われている障害者たちとの触れ合いに大きな時間が割かれています。
音遊びの会のドキュメンタリー映画「音の城 音の海」を思い出すのは言わば自然の摂理。しかしこの映画での大野の立ち位置はさらに音楽からは距離を置いています。

氏曰く「そんなに深く考えてない。ほとんど適当にやってきた」

彼の笑えるほど力の抜けた発言を補完するように、上映後の舞台挨拶で冨永監督が語っていました

「僕は“こだわり”という言葉はあまり良い意味で捉えていなくて、むしろ何かに捕われて意固地になってしまう悪い面がある。大野さんは“こだわり”が全くないところがすごい」

そして、劇中に二度出てくる、氏の語る“プロとしての指針”
・プロは、いつでもアマチュアに戻れる
・プロは、手を抜いてもそれがバレずに誤摩化せる
について、

「大野さんは撮影の間にこの言葉を四回言ってます。それだけ大野さんにとっても重要なところなんだと思い、二回使いました」

こだわらないから、自分が面白いと思ったことなら何でも出来る。でもそこには、プロとしての最低限のポテンシャルが備わっていなくてはならない。ユルいようで実は大変に厳しく、僕も含め、劇場に来ていた若いお客さんには、鋭く突き刺さった言葉だと思います。

僕は映画が後半に進むにつれ、大野松雄という人物から、A&Mの三浦社長を連想していました。

どこか適当で大雑把に見えて、譲れないところは絶対に引かない。
大切なことは何度でも繰り返し口に出し、時折べらんめえ口調で飛び出す言葉は快活で容赦ない。
楽しいことに触れているときは少年のように高揚し、魅力的な人柄と含蓄溢れる言葉の数々は、周囲の人たちをぐいぐい引きつける。

「老人力」などという言葉が一時期流行りましたが、彼ら70オーバーの“天才”たちのヒストリーや言葉の数々には、現代に生きる若者にとって「生きる力」になるようなエネルギーが満ち溢れているように思いました。
この作品は、そんな尊敬すべき老人力の一端を記録した映画なんだと思います。

もう一つ。“仙人”っぽいところも共通してますね。

舞台挨拶の際、劇中に登場するレイ・ハラカミさんについて質問させていただきました。ハラカミさんに監督が失礼にあたるような質問をしてしまったときに、ものすごく面白いリアクションをしてくれた、というエピソードが、死後、周囲のいろんな方が語られるハラカミさん像そのままで、何とも言えない感慨を思えましたが、ハラカミさんはこの映画を観ておらず、予定されていた大野松雄とのセッションイベントの際に観ようと思ってらっしゃったとのこと。監督は、遠慮せずに、無理を言ってでもハラカミさんに映画を観てもらい、感想を聞いておけば良かった、と悔しそうに話されていました。

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