スキマ産業vol.34〜キツネの嫁入りレコ発編〜 at Shangri-La (Osaka)【Qnicc掲載版】

本記事は、ニュースサイト「Qnicc」に掲載されたテキストに加筆修正を加えたものです。ブログ版はこちら

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2012年8月5日(日)、大阪は梅田シャングリラにて「スキマ産業vol.34〜キツネの嫁入りレコ発編〜」が開催されました。
前作「いつも通りの世界の終り。」でのエキゾティシズム漂うサウンドから一変、キーボードとベース、ドラムセットを導入したパワフルなバンドサウンドへの移行、激しく変化する曲展開、そして時間をかけて緻密に作り込まれた作品としての完成度の高さが各地で評判を呼んでいるキツネの嫁入りのセカンドアルバム「俯瞰せよ、月曜日」の、発売から2ヶ月強遅れの大阪でのリリースパーティーは、彼らにゆかりの深い盟友・先達たちを迎えての豪華・濃厚な一夜となりました。

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「一変」と書きましたが、その変化はアルバムリリースを期に突然起こったのではなく、前作リリースの後、ベーシストとして藤井都督が加入し、パーカッションがドラムセットに置き換わり、セッションを繰り返しながらライブのセットリストに新曲を徐々に加えていきながら、やがてセットリスト全てを新曲が埋めることになる……という過程を経ての変化です。これぞライブバンド。ここ2年ほどのキツネの嫁入りのライブに頻繁に通っていた人は、アーティストによって新たな作品が徐々に形作られていくそのプロセスの当事者となり、リリースされた作品を、その現場に同席した目撃者として共犯意識めいた興奮を覚えながら聴くことが出来るのですから、正にファン冥利に尽きるわけです。過去の名作に浸るだけではなく、今この瞬間に生まれる音楽とともに生きる喜びを味わうことこそが、アーティストと同時代に生きる音楽ファンの醍醐味だ……とは、言い過ぎでしょうか。

そんな素晴らしい作品を世に放った彼らが、地元京都では主に木屋町UrBANGUILDをホームグラウンドに開催してきた自主イベント「スキマ産業」は、7年・34回の長い歴史の中でも大阪での開催は多くなく、この日のシャングリラも彼らの自主イベントとしては初舞台となりました。

オープニングアクトは、その「スキマ産業」の初期から(つまり、キツネの嫁入り結成以前にマドナシがドーマンセーマン名義で活動していた頃から)出演歴のあるha-gakure。

エレクトロビートを加えた骨太のバンドサウンドは重心が低く切れ味もシャープ。その上を、言葉を丁寧に選びながら語りかけるように歌うボーカルは、そのがっちりとした体躯も含めて印象的です。ヒップホップらしい太く音圧のあるビートを刻みながらも、その音はあくまでも激しく肉体的。ダブ・レゲエ的なベースラインを奏でながらも、うねるような粘ついたフレージングやアフター・ビートとは隔絶したストレートでクールなリズム。ライムするようでいてポエトリーリーディングのような語り口は優しさと誠実さに溢れ、ジャマイカンなイントネーションを垣間見せながらもレゲエにどっぷりとは浸り切らない。何者かのようでない、何事も借り物では終わらせない、便利なジャンル分けを拒絶する毅然としたオリジナリティを感じる凛としたパフォーマンスでした。

続いては、キツネの嫁入りとの共演経験はありながら、意外にも「スキマ産業」へは初参加の山本精一。ドラムスにTaiqui、キーボードに西滝太を従えてのトリオ編成で、彼がソロアルバム「PRAYGROUND」辺りから特に力を入れているように思われる、フォーキーな歌ものとサイケデリックでラウドなエレキギターが融合したパフォーマンスを披露。

どの曲も、ひとつひとつの音を噛み締めるようにじっくり、ゆっくりと演奏する山本精一。曲によっては出だしにアブストラクトなインプロヴィゼーションのセクションがある場合もありますが、多くはイントロがありヴァースがありギターソロがあり……というオーソドックスな構成でありながら、“歌もの”で連想するコンパクトさとは一線を画した長大な演奏。

聴き手の時間軸を狂わせるようなその演奏に耳を傾けていると、内省的な歌の世界と常温でまろやかに響く声とが相俟って、ギターの奏でる轟音に包まれながらも荒漠たる原野に独り佇んでいるようなイメージが浮かんだり、壮大なロードムービーを観ているようなトリップ感を覚えるような音世界が広がります。曲が始まるとともにここではない遠いどこかへ旅立ち、曲の終了とともに歩き疲れて帰ってくるような、心地良い充足感がありました。

トリ前は、「スキマ産業」が初期から中期にかけて関西に招請していた石橋英子×アチコ。MCではその当時のエピソードを二人で楽しそうに話していました。「私の関西での思い出はキツネの嫁入りと共にあります」とのアチコの言葉に、「スキマ産業」が成してきたことの大きさを感じずにはいられません。

演奏での二人の掛け合いは、ピアノと歌がぴったり“息が合っている”という雰囲気。ユニゾンを基調に優雅にメロディを奏でる様子は、無理矢理音を揃えているのではなく、ごく自然に調和しているように見え、その様子は、双子の少女が無邪気に戯れているようでもあり、どことなく超自然的なムードを漂わせていました。

さらに驚いたのは、シャングリラの音響との相性の良さ。シャングリラは音響的に決して良いハコとは言えず、あちこちで音が反響しているのか、爆音で演奏しているとぼやけて潰れた音になり、状況次第では長時間聴いているのが辛くなることがありますが、この時の二人の音は、ピアノの倍音は鮮やかに響き渡り、高域に艶やかに伸びる歌声は割れたり削れたりすることなく天高く美しく伸びてゆき、真に迫る圧倒的な音の強さに何度も目頭が熱くなりました。

そしてトリは勿論、「スキマ産業」主宰であり、この日の主役でもある、キツネの嫁入り。「雨の歌」「俯瞰せよ、月曜日」「せん」といった新作からのナンバーで固めたセットリストは、ここしばらくの彼らの鉄板。緩急激しい変拍子満載の楽曲群を、余裕すら感じる抜群の安定感でプレイし、イベントの締めくくりを大いに盛り上げます。

シャングリラの音響も、やや特殊な編成のこのバンドの特性をしっかりと捉え、耳を澄ませば各パートの演奏が明確に聴こえる分離の良さもありつつ、力強くダイナミックな歪み具合も兼ね備えた好バランス。

いつもだと飄々とした物静かなMCが多いマドナシも、この日はいつになく高揚した口調で話し、彼らが迎え入れたゲスト達のパフォーマンスが素晴らしかったこと、充実の新作を携えてこのイベントが開催出来たことを心から喜んでいるという様子。

本編最後は、昨年末頃から新作の完成を待たずに披露されていたこの日唯一の新曲「死にたくない」で幕を閉じました。

アンコールでは、マドナシの「静かな曲とアッパーな曲、どっちがいいですか」との質問にお客さんが拍手の大きさで答えるという展開になり、軍配はアッパーな曲に。

そして演奏されたのが、マドナシによるアルバム随一の絶唱が聴ける「ヤキナオシクリカエシ」。楽曲の進化とバンド編成のグレードアップに加え、歌も更に表現力を増していることを証明するナンバーとして、この日のラストにふさわしい選曲となったのではないでしょうか。

演奏が終わり、この日の公演は終了。客電が点くや否や、休む間もなく楽屋から飛び出してロビーへ向かうメンバー達。この日のMCで「私は自分が好きな人間としか付き合えない。誰彼構わず愛想笑いなどできない」と語っていたマドナシが頬を緩め、お客さんや出演者達と語り合う姿がそこにはありました。

特定のジャンルに当てはまらないキツネの嫁入りの音楽性と、京都のバンドでありながら出自は異にする(マドナシは奈良出身)ことも起因するであろう地元音楽シーンへの所属感の薄さは、彼らがリアルにオルタナティブな存在であることの証左とも言えますが、そんな彼らが「スキマ産業」という一種自虐的とも取れるネーミングでオルタナティブなイベントをやり続けていること、前作までの作風がどこか傍観者のような目線で聴き手を翻弄するシニシズムを漂わせていたことは必然のように感じます。

しかし新作での彼らは、端々からドキッとするような言葉を発しながらも、その視点は傍観者としてではなく、聴き手と同じ目線で同じように悩み、苦しみ、そして一緒に前へ進もうと優しく肩を叩いてくれるような温かさが伝わるものへと変化してきています。

ロビーで談笑する彼らの姿を見ながらこの濃厚な一夜を反芻し、7年という歳月をかけて彼らが作り上げた「どこにも属さない者たちの居場所」が、確実に彼ら自身を成長させ、そして京都・関西に留まらず、日本のオルタナティブ・シーンすら徐々に変えつつあることを強く確信しました。

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