DCPRG、活動終了

4月25日のライブをもって活動終了

「Franz Kafka’s AMERIKA」購入後、mixiにこんなことを書きました。

「「FRANZ KAFUKA’S AMERICA」は、聴き始めはアブストラクトな楽曲の連発に戸惑ったものの、聴くごとにディテールが見えてきて、音響的な完成度の高さも相俟ってリピート率かなり高め。楽曲の作り込みではなくアンサンブルをどこまでフル活用するか、に専念したような演奏は、ダブル・トリオ時代のKING CRIMSONが、ポテンシャルを発揮しないまま解体した時の落胆をDCPRGが引き継いだ、と一方的に思い込んでいた僕としては、ようやくポテンシャルを発揮し出した歓びと、これ作っちゃったらDCPRGとしてはやるべきことがやり尽くされてもう終わりなんじゃないかという不安とがない交ぜです」

いやな予感が当たってしまった、という形ですが、でもこれはまるっきり本心ですし、「もう終わりなんじゃないかという不安」感じていたファンは、結構多かったんじゃないかと思います。

とは言え、思い入れの深いバンドだっただけに、今はこの事実をどう受け入れていいか、正直少し混乱していますが、まあ、とりあえず、ありがとう、DCPRG。

《過去のライヴレポート》
DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN at CLUB QUATTRO (Osaka)
P-hour 06 at 京都大学西部講堂 (Kyoto)
DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN at BIGCAT (Osaka)
P-hour 03 at 京都大学西部講堂 (Kyoto)

その前は、今はもう無いMOTHER HALLでのオールナイトイベント(2004/3/27)。赤犬を初めて観た日。

「U.N.C.O」を受けての菊地氏のMC「うんこなんて愛があれば食えるに決まってんじゃん」と、菊地氏の「飛ばない紙飛行機」が印象的でした。

(あと、アンコールで出てきた時に、坪口氏が食い倒れ人形の眼鏡をつけてほたえて出てきたのを見て絶句していたのが面白かった)
その前が、club DAWN(現NOON)でのイベント(2003/7/11)。この日が初めてのDCPRG体験で、狭いステージを縫うようにして登場するメンバー。初めて目にした菊地氏のタクトは衝撃的でしたが、もっと衝撃的だったのは、気が触れたようなテンションで喋りまくる菊地氏のMCでした(今ほどメディア露出も多くなかったし、菊地氏が一体どんな人なのか全く分からなかったので)。

「俺たちに今すぐ100万ガロンの水をくれ」と笑いながら叫ぶ姿と、発表前の構造Iをプレイし、「踊りそうになったでしょ」と嬉しそうに言っていたのが忘れられません。

(あと、菊地氏がセッティングで手間取って間が空いた時に坪口氏がボコーダーで「でーと・こーす・ぺんたごん・ろいやる・がーでん」と言った時の「おい……やめろ」という対処に困ったようなセリフ)

……うーん、沢山観ていたつもりが、こうやって並べてみると、こんなもんだったんだな、という感じ。まあ本拠地は東京でしたからね。それに、iPodには、初代の5Gの頃から殆どずっと入れてたから、余計に「いっぱい聴いた」気になっていたのかも。

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