毎月慈善団体に寄付してみるシリーズ・その3は被災休暇

下田部・アスファルト陥没地付近

「毎月慈善団体に寄付してみるシリーズ・その1:シリア」「毎月慈善団体に寄付してみるシリーズ・その2:パレスチナ」……と続いてさあ3回目、というタイミングですが、今回は見送らせていただきます。

理由は、大阪北部地震の被災者となってしまったためです。まあ大したことはなかったんですが、一応それなりに実害もあったので。

6月18日午前8時、子供を小学校に送り出し、自宅2階の自室で出勤前の準備をしていると、突然下から突き上げるような強い振動が起こり、激しく揺れ始めました。地震は数十秒でおさまり、本やら小物やらが棚の上からこぼれ落ち、それなりに散乱はしましたが、大きな棚がひっくり返るということはなく(少し位置が移動しましたが)小さなフィギュアが壊れるといった程度の被害で済みました(レコードプレーヤーが住んでのところで踏みとどまっていたのは幸運でした。あと少し自身が長引いたら危なかったと思います)。スマホが地震の警報を連呼し始めたのは、振動がおさまった頃でした。

1階に降りると、座って部屋を片付けていた母親の横で電気スタンドが砕け散っていましたが、それ以外は無事で、母にも怪我はありませんでした。キッチンも食器棚の扉が開くこともなく、窓際に飾っていた花が鉢ごとひっくり返って割れはしたものの、床に散乱しなかったので、足元が危なくなることもありませんでした。

僕は突然の地震に手が震えていましたが、とりあえず母と話しながら徐々に落ち着きました。テレビをつけ、震源地がかなり間近であることに気がつきました。間も無く、小学校より休学の報せがメールで届きました。

自宅から約1km離れたところに住んでいる妹は、娘を小学校へ送り出す直前に揺れ、しばらく家の中で様子を伺っていたところ、僕と同じく休学の報せが届いたので、母のいるこちらの家に娘二人(下の娘は保育園ですが、同じく休園)を預け、仕事場へ。後で知ったことですが、彼女が働く下田部の衣料品店は、さらに震源地に近く、この日被害の映像として早々に報道されていた火事の現場近くを横切って出勤したため、猛烈な煙を浴びながら職場に辿り着いたそうです。

娘を小学校へ迎えに行くと、校門近くの敷地内に児童たちが待機していました。娘に状況を聞くと、学校から数百m手前のところで地震が起き、一瞬ランドセルが(カバーのロックが外れて)揺れているだけかと思ったが、状況を察して、物が倒れてくる危険のない道路の真ん中へ駆け出してしゃがみこんだそうです(学校での避難訓練、大事だなと思いました)。その後、すぐ横の家の方が家に引き入れてくれたらしく、既にそこへ避難していた通学中の子供たちと、一緒に学校へと向かったということでした。

テレビでは、道路が陥没して水が漏れている映像(これも後でわかったことですが、彼女が働く下田部の衣料品店をさらに西へ行くと間も無くこの現場で、震源地にほど近い場所でした)や噴水のように水が噴き出す映像、そして、ブロック塀が剥がれ落ち、9歳の女子が心肺停止との報道が繰り返されていました。

初めは出勤するつもりでいましたが、報道を見ていると鉄道はほぼ全てストップ。会社からも休業の連絡が来ました。

twitterでガスが止まっていることに気づき、母がトイレに入った際、水が濁っていたというので、もしや水道管のトラブルが影響しているのではと思うが早いか、間も無く断水が始まるという情報が流れ、風呂に水を張り(こちらも最初は濁り水が出ました)、バケツにも水を溜め、非常用の飲み水が2リットルのペットボトルで3本あることを確認しました。しかし妹から、彼女の方に水の備蓄がないとの連絡があったので、とりあえず近くのスーパーに駆け込みました。

店内は酢のような匂いが立ち込め、酒類のコーナーには「足元注意」の表示板。どうやら被害があった模様でしたが、既に綺麗にしていました。近所の別のスーパーは完全に休業してしまっていたようなので、被害も少なかったのかもしれません。

予想はしていましたが、水は完売。惣菜コーナーもほぼ何も並んでいない状態。カートを押すお客さんの籠には、カップラーメンやらレトルト食品やら大袋のお菓子やら、ガスで調理せずに食べられる食材が溢れていました。僕も母に頼まれた卵と豚肉(こんなものこのタイミングで買っても調理のしようがなかったんですが、そんな判断もつかないぐらい頭が混乱していました。なにせ、ガスも水も使えない、という状況では「何ができない」か、ということが即座に判断できないくらい、ガスと水に頼りきった生活をしていたからです)に加え、レトルトの雑炊などをいくつか籠に突っ込みました。レジは大渋滞。見たこともないような長蛇の列で、しかも一人当たりの購入額が1万円以上という状態なので列は遅々として進まず、1時間以上は並んでいました。

帰り際、店内のパン屋にはまだいくつか残っていたので(惣菜パンなどはありませんでしたが、地震が開店直後だったので、そもそも作ってなかったかもしれません)、昼食用に適当に買いました。調理も不要で昼食にはもってこいなのに、どうして売れ残っていたのかちょっと不思議でした。

帰り道にあるコンビニに寄ってみるも、やはり水は無し。ただ、レトルトの食材はまだ揃っていたので、鮭、さば、いわしなどの魚類と、冷凍のピラフや焼売などを購入。

幸い電気は途切れることなく供給されていたので、レンジで食材を次々に温めて、パンとレトルトおかずで昼食。普段避けて通るような食べ物ばかりだったので、ことさらに侘しく感じました。

ダンスフロアから漏れるベース音のような不気味な余震が続く中、子供達は元気。というか元気すぎて家に篭っているとこちらが疲れてくるので、僕も頭痛で気が滅入っていたのもあって、気分転換に子供を連れて散歩に出かけました。

少し遠方のスーパー、ホームセンターまで歩いてみましたが、やはり水は完売。普段は無料で水を入れられるコーナーには行列ができていて、係員の方が何か説明していました。

そのまま震源地近くまで移動してみるも、これまでの大きな震災で目にしている「被災地」らしき雰囲気は全くなく、いつも通りの景色が広がっていました。震源地から数百メートル辺りのファミレスも通常営業中でした。

しかしさらに近づくと、向こう側から歩いてくる男性に「ここから先は通行止になってますよ」と声をかけていただく。見ると、クレーン車がその先にあるようでした。空には報道のヘリコプターが。後にそこが、今朝方繰り返し報道されていた、道路が陥没し、水の漏れていた場所だとわかりました。

帰路、通りすがりのコンビニを除いても、どこも水の棚がガラガラ。仕方なく、子供達にアイスクリームを買って帰りました。

実は家の近所に温泉があり、風呂はそこで入ろうと思っていたのですが、前を通ると休業の張り紙。近所の方の話によると、この銭湯は数日前から廃業していたのではとのこと。普段、自宅の風呂に入るのが当たり前だと、こんなことにも気づきません。

twitterなどでガスの復旧方法が流れていたので試してみましたが、やはり自宅の区域は駄目だったようで復旧せず。

仕事を早退してきた妹(車が運転できるのは彼女だけ)も交え、この後の計画を立てる。とりあえず家にいても風呂に入れないので、高槻市外の温泉に向かうことに。しかし震災当日は鉄道が壊滅状態だったこともあってか道路は大渋滞。やっとのことで飲食店も近くにある温泉にたどり着いたものの、時間が遅かったためか、ほとんど営業しておらず、風呂上りに寄った頃には残った一件も順番待ち状態だったので、子供のことも考えて、近くのスーパーで惣菜でも買って……と中に入った途端に蛍の光。まだ残っていた2リットルのお茶2本と惣菜数点を慌てて購入して帰路へ。しかし帰りもやはりそれなりに渋滞。往路では大騒ぎの子供たちも全員寝落ち。そして帰路で通り過ぎた我らが校区内の中学校のブロック塀の前には近づかないように仕切りがされており、翌朝、テレビの中継が行われることを後に知ることになります。

出発直前に水の勢いが弱まっていたので、断水が始まっていたと思っていたんですが、帰ってから試しに蛇口をひねるとまだ水が出ました。恐る恐る洗濯機を回してみると、水が出る出る。しかし、浄水器越しに一口飲んでみると、味がおかしい。翌朝わかったことですが、断水はほんの短い時間で済んでいたようです。しかし、水質は飲めるものではなく、依然飲み水には使えない状態でした。

断続的に続く余震に睡眠を阻害されながら1日が終わり、2日目の朝。前日から頻繁に響くヘリの音は、かなり近くに聞こえ、屋内にいるとその振動で家が震えるほど。地震に恐怖する身にはとんだ迷惑です。ガスの復旧がどうなるのか調べても、詳しい情報が手に入らず、大阪ガスのサイトに行っても繋がらない状態で、その間twitterでは、前述の復旧方法でガスが戻る報告のツイート(つまり地震の影響でマイコンメーターが一時的に停止しただけの区域の方々)が連発されていたのもあって、かなりやきもきしました。

やがて、ガスの復旧に関する情報が曖昧ながらも徐々に出てきましたが、一週間強は復旧しないことを覚悟しなければならないようだったので、ウェブで調べてみると電気で風呂を沸かす道具も売られていることを知り、アマゾンで注文。しかし届くのは2日後。

壊滅的だった鉄道が驚いたことに翌日には復旧していたので、午前中に母が病院(地震発生数日前から持病の腰痛が悪化していた)に行き、激混みの中、2時間近くの拘束から戻ってくるのを待って、娘と二人で大阪市内へ買い出しに。

避難所や水道局で給水をもらうためのポリタンク、余震が懸念されていたので非常食を大量入手。ここまで来ればこのような品物も何の苦もなく手に入ることに安心しつつ、鉄道の有り難みを噛み締めます(往路では、突然徐行運転したかと思うと、線路脇で作業されている方がいたり、ホームで粛々と修理を行っている方がいたり……その存在の尊さに涙が出そうになりました)。その後難波まで移動し、IHコンロを購入。これまで節電がデフォルトの生活をしていたので、このようなものが売られていることすら知りませんでしたが、「ガスがなければ電気を使えばいいじゃない」ということで、これさえあればガス無しで料理ができることを知りました。

帰路、電車内で、明日から学校が再開することを知りましたが、午前中までの授業で、その後学童保育室に行く場合は弁当が必要とのことだったので、高槻市駅そばのスーパーで弁当の食材を買うことに。大阪市内と違い、やはり品物はまだ供給不足で、惣菜コーナーの一部がカップ焼そばに埋め尽くされているのを見た時には唖然としました。

そして帰宅後、前日の9歳の少女を襲ったブロック塀の違法建築が、娘の通う小学校でも行われており、しかもそれが毎日全ての生徒が通う通学路沿いであることが発覚、同校にテレビの取材が来ていたことを知ります。娘が地震の瞬間に外にいたことや、これまで何も知らず真横を通らされていたことなどを思い出して戦慄しました。

夜は、前日の反省を踏まえ、この日は休日だった妹(地震の影響ではなく、偶然休みのシフトだっただけ)の運転で、前日よりも早めに温泉へ。道路は空いていたものの、温泉自体は大混雑。しかし飲食店は運良く早めに座れ、2日ぶりにまともな食事にありつけました(いわゆるチェーンのファミレスですが、この手の店を敬遠している母も、美味しいと喜んでいました)。

1日目の寝不足が響いてか、余震にもあまり目覚めることなく朝を迎えた3日目。水質検査も終わり、朝には水も完全復旧。IHコンロでゆでたまごを作れただけで感激しつつ、子供の弁当を用意し、学校まで見送りました。いつもの門は封鎖し、ブロック塀の周りはパイロンが建てられ、「地震の時は近づかない」との貼り紙。誤って近くに寄らないよう、先生たちが別の門へと誘導しつつの通学でした。

ガスの復旧の行程がウェブで確認できましたが、まず道路下のガス管の検査を行い、その後修復、それが終わると一軒ずつ訪問し、本人立ち会いのもと検査を行って問題なければ復旧。という手順があり、自宅付近はガス管の検査を行っている段階で、情報からすると、ガスを停止している東端・西端から徐々に作業を行なっている様子で、どちらかといえば内側寄りの自宅付近はまだまだ時間が必要、という感じでした。しかし、作業にあたるスタッフは、日に日に増員され、他の事業所からの応援が次々に駆けつけているようでしたので、これによって1日でも復旧が早まることを祈りました。

料理ができない前提だったので冷蔵庫の食材が尽きかけており(それでも母が筑前煮を作るだけのものは残っていたので、昼食はそれ)、妹はこの日は仕事、外は雨。ということで、ひとり駅周辺の店を回って必要なものを買い集めることに。

駅周辺の店は、営業状況はまちまちで、そばまで行ってみないとわかりませんでした。デパ地下もガスを使う店舗は閉めていても天ぷらが盛大に揚げられている店があったり、隣り合って建っているファミレスも、一方は遜色なく営業しているのに一方は真っ暗、など。流通はある程度復活しているようで、生鮮のお店はほぼ稼働しているようでした。JRの駅は、天井からの盛大な水漏れが報道されていましたが、この日見上げると、一面シートに覆われていて、業者らしき方が作業されていました。

食材と合わせて、非常用のカセットコンロも買っておこうかと思いましたが、普段売っているはずの店でもやはり完売していました。

この日の夜は、温泉に行くわけにもいかなかった(実は高槻市内にも薪で沸かしている銭湯がいくつかあったことを知ったのはこの後でした)ので、IHコンロとティファールを駆使し、お湯をバケツに溜めて簡易風呂。ティファール一杯でバケツ約一杯分の適温のお湯が作れましたが、子供はそれ一杯だとギリギリ、大人は2杯無いと頭が洗えないという量だったので、大人二人、子供三人を洗うために、何度も沸かしてバケツリレーしました。この瞬間が、最も被災地っぽかったかもしれません。ちなみに洗い流すにはボディソープ、シャンプーよりも石鹸の方が流れやすいそうですが、「毎月慈善団体に寄付してみるシリーズ・その1:シリア」で書いた通り、僕は全身石鹸一つで洗うので特に支障無し。子供、母も同じ石鹸を使いました。

翌日。そろそろ会社に行きたいタイミングでしたが、電気で風呂を沸かす道具が午前中に届くので、それまで娘の明日の弁当のおかずを作るなどして待機していました。余震もあったものの、大きな揺れは無し。地震の影響で、配達の便も遅延が起こっているようでしたが、なんとかギリギリ午前中には到着。母に使用法だけ説明して出社しました。

電気で風呂を沸かす道具は、真水からだと沸くまでに3時間ぐらいかかるということだったので、母が忘れないように夕方前に風呂の準備をするようにメールすると、なんと「ガスが復旧した」との返信。検査にあたってくださったのは、なんと東京ガスの方だったそうです。

深夜に帰宅し、風呂場の湯船に指を入れてみると……「温かい」。久々の自宅のお風呂でようやく気分も落ち着き(実は公衆浴場が苦手なのです。あの慌しい感じや、他人に裸を晒し、目の前を見たくもない大量の裸体が溢れているのが全く落ち着きません)、こちらも久々となる風呂掃除(こちらは久々なのもあって妙に疲れました)の後、キッチンで明日の娘の朝食を作ろうと、コンロにフライパンを乗せ、恐る恐る点火のスイッチをつけると……「火が出た」。リビングには、一度も水に浸かることがなかった、給水用のポリタンクと、電気で風呂を沸かす道具が転がっていました。

インフラが完全復活し、ようやく「日常」が戻ってきた、という気分でした。たった4日間でしたが、あまりのめまぐるしさに、1ヶ月弱はあったんじゃないかというぐらいの感覚がありました。

5日目の明け方にも余震があり、近日中に大きな揺れが再びくる可能性も示唆されてもいるので、まだまだ気持ちが落ち着きませんが、普段通りの毎日が進み始めています。最初の2、3日は震災以外の情報が頭に入らず、些細なことにも気が回らないほど、眼前の「普段当たり前に思っていることができない状況」にどう対処すればいいのか混乱した頭でなんとか答えを出していくしかなかったので、本を読む気にも音楽を聴く気にもカメラを触る気にも(実は地震の翌日はロケの仕事がありましたが、他の方に任せて欠席しました。この日のために買った機材などもあったんですが……)なれませんでした。それも徐々にいつものペースが戻ってきました。

大都市を襲った大型地震ということで、インフラを破壊されることで機能停止してしまう都市の脆弱性が指摘されていましたが、逆に都市であるがゆえの回復力の高さと阪神・淡路以来の経験の積み重ねが随所で発揮されたということも言えると思います。一方で、ブロック塀の問題など、被害が出て初めて明るみに出る不正という、毎度懲りない大人の馬鹿さ加減、それが教育委に及ぶという、これで子供に何が教育できるのかというどうしようもなさには怒りが収まりません。他でもない、我が子の身がかかっているのでなおさらです。

今回得た教訓は、「水・ガス・電気はどれが欠けても最悪」ということでした。水の備蓄は欠かさないこと、ガスと電気は代用できるものを用意すること(今回電気は切れませんでしたが、これで電気が切れていたかと思うと寒気がします。USBバッテリーは満充電の状態でいくつか確保していた方が良さそうです)。

日本は地震大国ですから、この国に住む限り、地震が起こることを前提に生活をしなければなりませんね。今回の地震では、僕は幸い大きな実害がなかったので、このことを教訓に、災害準備を見直したいと思います。

こんなわけで、かなり余分な出費がかさんでしまったので、今月の寄付はお休みさせていただくことにしました。とは言え、破産するほど出費したわけでもなく、寄付額も大したものではないので、来月は再開したいと思います。

この間、twitterやメール、電話などで気持ちを寄せてくださった全ての皆様に、心より感謝いたします。

↓地震後、最初に聴いた音楽はこれでした。